クララの日記 超訳版第3回−3
10月4日 月曜日
日本での生活はますます面白くなってくるので、しばらくしたらきっとこの美しい島が祖国のように好きになり、離れるのが残念になるだろう。勿論どんなに美しい国でも、アメリカに対する私の愛情を移し替えることは出来そうもないのだけれど。
この間の日記では出掛けるのが厭だと書いたけれど、今日はアメリカのビリー叔母さんに送る人形の着物にする絹地を探すために、富田夫人と一緒に銀座へと出掛けることになった。旦那さんの鉄之助氏はアメリカにあった父の学校に入学した初めての日本人だ。この方が母に「聖書を読んで欲しい」と請うたことが母が伝道の志を持ち、遂にはこの美しい国にまで来させるきっかけとなったのだから、人生は何がきっかけで変わるか分からないものだ。
釆女町を通って橋を渡り、銀座の大通りをどんどん行った。
私たちは顔が白くて外国の服装をしているものだから、汚い着物を着た人がみんなじろじろ見るので、どぎまぎしてしまった。上流の人たちは礼儀正しく、チラッと見るだけで通り過ぎるのに対し、私たちの後をゾロゾロ着いて来て、立ち止まると一緒に立ち止まり、店に入ると店の前に群がるのは、最も貧しい暮らし向きの人々だけだと云うことに気付いた。
彼らを追い払おうと気を遣う店主もいた。だけど、ついて来られるのはとても煩わしいことだけれど、彼らは大人しいようだ。笑いもせず、殆ど喋りもしないで、辺りが黒いガラス玉のような目で一杯になってしまうのではないかと思われるまで、その黒い小さな目でただじろじろ見つめるだけなのだ。
それでもうんざりすることには違いなかった。だから、私は何か別の物の周りに人が群がっているのを見たとき、嬉しくなってしまった。
「きっと誰か不幸な外国人がいるんだわ!」
ところがそれは外国人ではなく――なんと猿だったのだ! そして明らかに、私たちと同じく無数の目に見つめられてどぎまぎしていた。
私はその時、心から猿に同情することが出来た。母はこの国に来てから、群衆がぞろぞろついて来る手回しオルガン弾きの気持ちがよく理解できるようになったと云う。
富田夫人は宝石のように素晴らしい方で、まだあまり時が経っていないのに私はとても惹かれている。もしご主人がアメリカに奥様をお呼びになったらどんなに寂しい思いがすることだろう。富田夫人はなさることすべてに良いセンスをお見せになるので、一緒にいるのはとても楽しい。