Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

クララの明治日記 超訳版第8回−5

1876年2月5日 土曜日 
午後になって銀座へ行ったら歩いている中原氏に出会ったので、一緒に何処かに出かけることにした。
「今日は随分と晴れ着を着た人が多いですね」
「ああ、今日は神道の祭日なのですよ」
あまりに人出が多いので、私たちは人力車を降りて歩かなくてはならなかった。こんなに大勢の人出を見たことがない――日本の流行の先端を行くように美しく着飾ったお化粧をした人、貧しいが清潔な身なりの人など、確かに清らかな群衆だった。大抵の人の手や顔や足は綺麗に洗ってあり、髪はとかしたてだった。
少し歩くと神社に着いたが、あまり大きい物ではなかった。入口の周りに橇のベルのような大きな真鍮の鈴が吊して合って、長い網がついていた。
お参りの仕方は次のようである。
近くの屋台で参拝者は小さな紙に包んだ餅を買い、少し先の屋台で豆を買う。神社の門のそばに大きな水槽があって、神様を拝む前にそこで手や顔を洗うのである。洗った後に鈴の所に行くのだが、鈴に手が届けば神の注目を引くように鈴を十分長く鳴らす。届かなければ少し離れたところに立って、豆と紙に包んだ餅を投げる。豆は神社だか寺だかの中へ、餅は屋根の上に乗るように。
それから人々は手を打ち、頭を下げてお祈りする。一つの門の右側に立っていると、あたりの様子がよく見えた。
私はこの惑わされた人々が鈴を鳴らし、供物を投げ、頭を垂れ、手を打って、ただ無に向かって祈るのを悲しく見守っていた。
私はエリヤとバアルの預言者たちのことを思い出した。バアルの預言者たちは長い間彼らの神に呼びかけたが応えがなかった。しかし主はエリヤの最初の祈りで火をお送りになった。私は今初めてエリカの次の言葉を理解出来た。
「大声を挙げて呼べ、彼は神なればなり。彼は黙想えおるか。わきに行きしか。または旅にあるか。あるいは仮寐りて醒さるべきか」
「しかれども、何の声もなく、また何の応うる者もなく、また何顧みる者もなかりき」
中原氏と歩いて帰る時、私のオーバーシューズが泥にはまって脱げてしまったのだけれど、この我が護衛者は泥とか埃が大嫌いなので、もう少しでヒステリーを起こしそうになった。しかし人力車の車夫が履かせてくれたので、また歩き続けた。中原氏は銀座にいる間中ずっと付き添って、私が蜜柑や靴紐や石筆を買うのをまったく紳士らしく優雅な態度で手伝い、それから家まで送って下さった。
中原氏は横浜から友達が来ることになっているので、家の入口に着くとそのまま帰らなくてはならなかった。この遠い国で、親切な若い同国人のような人に会えてとても良かった。富田夫人は、男の人が夫人や少女にそのように細かく気を遣うのは今まで見たことがないと云われるが、このようなことは、私たちの国、アメリカに行かなければ分からないことなのだ。というのは、アメリカ紳士が夫人に示す騎士道精神のようなものは、イギリスでさえ見られないのだから。