Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第9回−3

1876年2月16日 水曜日
今朝、みんな授業で忙しいとき、福沢諭吉氏がおいでになった。精養軒での会合に行かれる途中で立ち寄られたところで、上等のアラビア馬に乗っておられた。
食後オルガンの練習をしていると、大鳥圭介氏がおみえになり、お坐りになるかとならないうちに、箕作秋坪氏がある殿様――津山藩というところの殿様だった松平確堂という方――の御令嬢と三人の従者を連れてこられた。お付きの者はサムライが二人と侍女が一人だった。
十一歳のその令嬢は美しい装いをされ、本当に上品な顔立ちをされていたけれど、厚くお化粧をし、紅をさした丸顔には表情といったものが全くない。我が家に置いてある色々のものに目をやりながらも、人形のように口をおききにならない。
そのため私たちは忽ち会話に詰まってしまった。
きっとこの御令嬢はお屋敷では赤ん坊のように身体を洗って貰い、着物を着せて貰い、そして遊んで貰うのだ。聞いたところによると、大名家の婦人たちは書物を読んだり、精神を陶治したりすることは何もしないのだそうだ。
ああ、私は大名の令嬢にに生まれなくて本当に良かった! 日本の甘やかされた、なんにも知らない貴族の令嬢より、自由で幸福で懐かしいアメリカの質素な田舎娘である方がマシだ。うらやましいどころか、私は自分の境遇を考えると、この幸せな運命にますます満足してくる。
こういう令嬢たちは同じく高貴な青年と婚約して、従者と時折の訪問客以外は、社交界で人と交わることもないのだ。無邪気にゲームをしたり、笑ったりする少年少女の陽気な集まり――そこでは、男の子は大人になるまで男の子で、女の子は成長して品位を持つようになるまで女の子でいられる、そんな集まりとは、なんとかけ離れたものだろう。このような日本の狭量な女の人たちが交わり合って、アメリカ社会の楽しい自由を見ることが出来たら、どんなにいいだろうとよく思う。両性の社交的な集まり、そこでは騎士道精神が女性に示され、女性の意見が男性のと同様に重んじられるのだ。
もっとも、もし彼らがアメリカ的社交を経験したとしたら、きっと厭でたまらなくなり、日本的に引きこもって使用人に崇拝されていた方がいいと思うことだろう。だが、敢えてもう一度云おう――大名の令嬢ではなくて、アメリカの少女でよかったと。


「その帯に挟んでいるのは刀ですか?」
遂に話題に困って母が、侍女の帯のところに挟んだものについて質問する。
御令嬢より少し年上と思われる、だけど私と殆ど変わらない年頃のその侍女は、目線を若主人に向ける。どうやら「質問に直接答えても良いのか?」ということの許可を求めたらしい。
「答えて宜しくてよ、おすみ」
日本語は分からないけれど、初めて発せられた御令嬢の声は、とても上品で若々しいものでいらした。もっと感情も抑揚のない声で喋られるのだと勝手に思いこんでいたので、正直なところ意外な気がした。
「町で酔っぱらいや盗賊に襲われたときにお嬢様をお守りするための短刀です。お嬢様に傷の一つでも付くようなことがあれば、康倫様に顔向けが出来ませんので」
言葉は分からなくとも侍女の人が誠意の塊みたいに答えているのが分かる。あれ? 康倫様? その日本人の名前の響き、どこかで聞いたことがある。そう思ったら、先に母の方がその正体に気付いた。
「ああ、以前アメリカの我が家を訪れた若殿様のお一人ですね。可愛い婚約者についてもお聞きしたことがありましたよ」
ポンと私は手を打つ。そうだ、松平康倫という若い殿様は、一緒に留学している他の三人の殿様たちと一緒に我が家を訪れたことがあるのだ。あれ? でもあの頃から、確かあの若殿様は……。
箕作氏はアディに、着物を着た大きな日本人形を持ってきて下さった。松平家の御令嬢は母に綺麗な絹地を、富田夫人には同じような絹地をもっと少な目に、私には象嵌細工の楠の箱を二つ下さった。楠を見たのは初めてだ。特別に変わったところもないような木だけれど、ただ匂いが違う。こんな綺麗なものを下さって本当にご親切だが、人の家に行く時、何か持って行くというのは変わった習慣だ。
松平さんという名のこの御令嬢は、融通の利かなさそうな若い侍女と一緒に、英語を習いに毎日おいでになることになった。
<どうかこの御令嬢が見かけより利口でいらっしゃいますように!>


高貴なお客様が帰られた後、少し運動にと散歩に出た。
釆女町へ行って、絹地と砂糖と蜜柑を買い、絵の具屋にも寄った。貧しい女や子供の群れが周りに集まって来たが、言葉だけでなく、その汚い身なりはとても不快だった。私たちが歩き出すと、みんな笑ったり叫んだりしながら、ぞろぞろ着いて来たので非常に不快で腹立たしかった。
その時だった。富田夫人がそっと近づいて、守り神のようにやさしく「イエス様が」と云われたのは。それで十分だった。夫人の手を握りしめ、輝く目を見つめたとき、私の苛立ちは消えた。
「イエス様がお歩きになると、みんなが笑ったのですよ」
夫人はそうお続けになった。その光景がはっきりと私の目の前に浮かんだ――叫び声を上げている群衆――彼らの不愉快な言葉は、イエス様が神のような崇高な天性を持っていらっしゃったとしても、その人間性を傷つけたに違いない。そういう連中の中から、少数が世俗的な名声を捨ててイエス様に従い、行動を共にしたのだ。
私はイエス様のお気持ちがとてもよく想像できた。そうしてこういう人々の貴重な魂が、どこだか知らない、いや、哀れみ深いお方だけがご存じの場所へ、どんどん落ちていくのを気の毒に思った。
富田夫人のそのような言葉、表情、そして握った手の感触のお陰で、このような快い考えに思い至ることができたのだ。他人のためにあのように耐えたことに、きっと神様はお報い下さるだろう。
富田夫人は本来内気でいらっしゃるので、これはきっと大きな試練だったに違いない。