Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第12回−5

1876年4月7日 金曜日
松平家のご招待を受け、午前の授業をあまりしないで十二時に出発した。
おやおさんとおすみは、二人の制服を着た車夫の引く美しい人力車で先頭に立ち、母と富田夫人はその次、私は一人で、アディと三浦夫人が一番後だった。
様々な景色のところを通っていったけれど、大名の華やかな車と私たちの服装は、いやが上にも人目を引いた。隅田川の土手を進み、浅草や向島の近くまで来た。
黒い門をくぐって少し行くと、車を降りるように云われた。迎えに来た立派なサムライに案内されて、茶の木の生け垣に沿った小道を歩いていくうちに、突然主庭に出た。
大勢の人が玄関に出迎えており、私たちは靴を脱いで、テーブルなどのある様式の部屋に通された。
ああ、日本人同士のお辞儀ったら! 皆、床に頭がくっつくまでお辞儀をしていておかしかった。三浦夫人を見ていて、もう少しで声を立てて笑いそうになった。
最初見た時、彼女は隅で立派なサムライに対し、頭を飛び切り深く下げていた。まるで彼にあらゆる幸福と永遠の生と死後は天国に行けることを祈ったかのように、長い間お辞儀をした後、サムライが立ち上がって去ると「さらに征服すべき世界」はないかと見回した。
富田夫人と頭を付き合わせんばかりにお辞儀をしていた日本人が三浦夫人を見つけると、両者はにじり寄り、二人とも手と膝をついて頭を床にくっつけ、再びひれ伏した。
だけれど、松平家の老婦人が入っていらっしゃると、もっとひどくなった。三浦夫人は鉄板上のパンケーキのように、ぺしゃんこになった。うん、日本人なら、本当に鉄板の上だって土下座が出来るかも知れない。


松平夫人はかなりお年を召しておられて、肺癌にかかっていらっしゃるけれど、色白の優しい丸顔と、しとやかで楽しそうな態度やご様子からは、とてもそうとは思えない。
美しい錦のお召し物をもとい、柔和で落ち着いていらっしゃるが、優雅で大名夫人に相応しい方だ。襟は純白の絹で、髪は短く切り、後ろをきちんと梳かしてある。優しい慈愛に満ちた目と、綺麗な白い歯の見えるお口は魅力的だった。
間もなく私たちはテーブルに着き、お茶をすすって、お菓子を摘んでいるうちに食事が出てきた。最初の料理は貝殻の半片を手に入れた生牡蠣、次は魚、第三は鳥<はらわた抜きでなく、頭がついていてキャベツの葉で包んだもの>、四番目は鶏肉、第五は焼いた牛肉とじゃがいも、六番目はコーヒーとケーキと蜜柑だった。しかし、その後で過ごした素晴らしいときに比べれば、この食事など省略したって構わない。
私たちは、美しいお庭に出た。中央に綺麗な池があり、その両側と後ろに柔らかくうねった築山があったが、自然そのままで、てっぺんに楠、樅、その他見慣れた木が生えていた。築山や木々の鮮やかな緑とくっきり対応するように、明るい真紅の小さな庭木が植えられていたが、ともかくその葉の色は鮮明だった。
私たち、つまり、母、松平夫人、おやおさん、おすみとそのお父さん、富田夫人、三浦夫人、護衛のサムライと私は、川や池に沿って歩きながらお話をし、日本人がとても好きな「バッタ」が夥しくいたので、それを捕まえたりした。
小さな丘についている石段を駆け上がると茂みに出たが、木の枝が互いにくっついて、素敵なアーチになっており、鳥が囀りながら、そこを潜って飛び交っていた。枝の擦れ合う音は物悲しいが快く、楽しい緑の森を思い起こさせた。少し先に、この池の源、つまり池と隅田川を繋いでいる細い水路があった。
丁度その時、お庭の奥にある小さな家に着いて、中に入るように誘われた。
二階には、両側に川が見える涼しく風通しのよい部屋があった。小さな露台に出ると、舟が通るのが見え、また下方の通りを歩く人々や乗り物が見えた。晴れていたら、この上なく素晴らしかっただろうけれど、曇っていたのが残念だった。
家から出て再びそぞろ歩きをすると丘の下の方に小さな穴があって、川から来た冷たい水が石の上で優しいせせらぎの音を立てていた。両側の土手は緑色の苔に覆われ、丈の高い木が小川の上に優しく垂れ下がっているのを見た時には、土手に坐って本を読んだり、川の銀鈴のようなせせらぎに合わせて、空想を思いのままに駆け巡らせてみたいという気さえしてきた。
たった一つ厭なことは、毛虫や百足が木から落ちて来ないかということだったが、その時にはそうだ! 傘をさせばいいのだ! 
それからぐんと高い丘の石段を上ると、実に見事な東京の眺めが目に入った。浅草、築地、いくつかの学校、大きな銀行、ヤマトヤシキ、その他色々の場所を、お供のサムライが指さして教えてくれた。
別の小道を通って下り、もう少し歩いていったところに岩を刳り抜いて作った道があった。案内者についてそこを数歩下ってみると、人一人がやっと通れるくらいの幅しかなかったけれど、それでもスカートの広がりにはまだ余裕があった。
入口の真向かいに出口がないので、中は真っ暗だった。入口から出口の方に曲がる角の引っ込んだ岩の中に、神社がはめ込まれていた。
「誰を祀ってあるのですか?」
「女の人が崇める女神、弁天様ですよ」
私は弁天様の由来を読んでいないが、そのうち読んでみるつもりである。


家に戻ると、松平夫人が持っていらっしゃった。そしてまた、お茶とお菓子と蜜柑をご馳走になり、色々と種類の絵本を見せて頂いたりして、すっかりくつろいだ気分になったけれど、皆夫人とお付きの人々のお陰である。
清国の手作りの風変わりな飾り棚があったが、それは古くて、たいそう優美な変わった真珠や珊瑚が散りばめられていた。
「好きな方をお取りなさい」
私が二つの可愛い鉢植えの花に感心しているのをご覧になった松平夫人がそう仰ってくれた。私は少し躊躇ってから、美しくて珍しい藤を選んだ。それは二フィートくらいの丈しかないのに、可愛い花を沢山つけているような盆栽だった。富田夫人は、それは日本ではとても珍しい種類だといった。
「また来て下さいね。やおだけではなく、わたしも楽しみにしていますから」
松平夫人は、何度も何度もそう念を押された。
家に帰るまで花やその他のお土産を一杯頂いたので、人力車をもう一台頼まなくてはならなかった。私たちは従者に贈り物を持たせて帰宅する古代ヘブライ人のような気分になった。私たちが持って帰ったのは、鉢植えの藤、桃と桜を枝ごとと、沢山の椿だった。
母は絹地に描いた絵と漆器のお椀を頂き、富田夫人と三浦夫人はそれぞれ沢山の便箋と封筒、絹のスカーフ、アディと私はとても綺麗な玩具を幾つも頂いた。
六時半に家に着くと、中原氏が来ていて、一人で気楽に過ごしているところだった。