Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第20回−9

1876年10月5日 木曜日
母は今日気分がいいので、私は富田夫人と十一時十五分に出発して、十二時半に横浜に着いた。
丁度ヘップバン夫人の昼食の時間になってしまったし、私たちだけでホテルに行くのも嫌だったので、日本のお茶屋へ入った。かなりみすぼらしい店だったけれど、そんなことは気にならなかった。
二時にヘップバン家に着いて、夫人に事の次第を話した。夫人は「心配する必要はありませんよ」とか「大丈夫ですよ」とか、いろいろ云って下さった。
それで私たちは町へ行って買い物をして、ヘップバン先生の答えを聞きにまた戻った。
「これをお母様に渡して下さい」
けれど、渡された一枚の処方箋が先生の答えだった。先生はどうしても東京には出ていらっしゃらないという。
ああ、私の心はとても重かった。「先生は母が生きようと死のうとどうでもいいというのですか!?」そう口にしかけて、辛うじて思いとどまった。
ヘップバン先生はお母様がおられないので、私がどんなに母のことを心配しているのかお分かりにならないのだ。
私は処方箋を頂いて、相変わらず重い心を抱いて家に帰った。せめて「もっと悪くなったら行きましょう」ぐらいのことは云って下さっても良かったのに!
帰宅すると、午前中ずっと母は客の相手をしていた。シンプソン夫人がいらっしゃって、ご自分がご病気の時のお返しに、母をとても慰めて下さったそうだ。
ド・ポワンヴィル夫人、杉田夫人と盛、佐々木氏、中原氏も来た。佐々木氏は見事な葡萄を一箱下さった。
けれど、母はすっかり疲れてしまい、人の話し声も我慢できないほどいらいらして、しばらく泣いていた。

【クララの明治日記 超訳版第20回解説】
「やっと本格的に私たちの出番よねー……ま、ユウメイは後一ヶ月半くらい台詞はないけどw」
「はいはい、わたくしの存在なんて無視して、二人で勝手にイチャイチャしてなさい。
さっさと本題に参りますわよ。序盤にかなりの頻度で登場してきた小野氏ですけれど、この結婚報告を期に、急速に出番が減っていきますわね。変わって出番が増えるのが」
「今回初登場の矢田部良吉氏だねー。新しいトラブルメーカーとも云うけどw」
「ざっと経歴をフォローしておきますと嘉永4年、1851年に伊豆韮山で生まれ。父親も蘭学者で、本人は幕末頃、ジョン万次郎氏や大鳥圭介氏に英語を学んだみたい。で。維新後は外務省に入って森有礼氏に随行して渡米、と。多分大鳥氏か森氏の紹介よねー、ホイットニー家にやって来たのは」
「それでも、何の目的でやってきたのかは正直理解しかねますわね。クララの日記を読む限り、かなり軽薄そうな人物のように感じるのですけれど?」
「うーん、この人、変わっていると云えば変わっていて、そのまま森氏に随行していれば政府のそれなりの高官になれた筈なのに、外務省を辞めてそのままアメリカに留学しちゃう。しかも学ぶことを選んだのは、何故か植物学」
「クララの家にやってきたのは4年における留学を終えた後ですわね。そしてこの一年後、矢田部氏は東京大学における初代植物学教授となるわけですのね」
「後任の東大植物学教授が残した矢田部氏評はこんな感じだったみたい。
『温和にして淡白、人と交わるに城府を設けず真に泰西理学者たるの風采を具えたり、而して性又磊落奇偉』
『識汎く理学の一般に及ぶ、故を以て平素の談論往々哲理に渉り時に音楽又は油絵等の品隲し來り、人をして意外の感に打たしめたるもの甚少ならざりき』
クララの記述を裏付けするような、よく云えば豪放磊落、悪く云えば芸術好きのエキセントリック人間? ぶっちゃけ、評判は良くないよね、後世においても」
「評判も何も、矢田部がすこぶる野放図で、東大の植物園の事務担当になっても実際は任せきりで採集した植物の整理もせずに放置しっぱなしにするどころか、本人がアメリカで採集してきた植物も放置したままだった、っていうのは学者としてどうですの?」
「あっ!?」
「? 突然大声を出してどうしましたの?」
「思い出した。植物学者として超有名な牧野富太郎と喧嘩した人だ、この人」
「? なんのことですの?」
牧野富太郎っていう学歴も何もないアマチュアの在野の植物研究者がいて、ある日、自分の研究成果を持っていったんだよ、東京帝大の教授に。で、その教授はすぐに牧野富太郎の才能を見抜いて、自由に研究室に出入りすることを許し、機材や資料なんかも自由に使わせてくれたんだって。ああ、その教授が矢田部氏だったんだ」
「それだったら美談じゃありませんの」
「だけど5年後には追放しちゃうんだな。で、これが遂には新聞沙汰にまでなって大揉めに。しかも悪=帝大教授の矢田部氏&後任教授、善=牧野富太郎の図式で」
「今までの話の流れを見ていると、矢田部氏が一方的に悪そうな気がするのですけど?」
「……うん、子供の頃、牧野富太郎の伝記を読んだ時には私もそう思った。だけど、この牧野富太郎って人、研究者としては一流だけど、物凄く自己中なわけ。研究のためには何をやってもいい、資料の勝手な持ち出しの何が悪い、家族を犠牲にして何が悪い、死んだら研究が出来ないから絶対に死にたくない」
「前二者はともかく、最後のは普通の学者なら多かれ少なかれそう思うんじゃ?」
「……実践さえしてなきゃね。植物採取中に崖から転落して気を失ったけど、気付いた後そのまま再開。だけど半年後にレントゲン取ったら実は背骨がぽっきり折れてたけど自己回復していたとか、実際に晩年死の床について医者からご臨終宣言されたのに、死に水を取っていたら生き返った、とか化け物じみた逸話が残っているくらいで」
「……本物の化け物でしょうが、それじゃあ」
「今回分のクララの日記を読み直していて、この二人、絶対に分かり合える存在じゃないってよく分かった。学者としての才能はともかく、アメリカナイズされて人当たりも良く、繊細な矢田部氏が、典型的な日本の研究馬鹿と馬が合うわけなかったんだ。お気の毒に」
「後年矢田部氏は、後に文部大臣となる外山正一たちと『新体詩抄』という西洋の詩の訳本を出版しています。これが日本での訳詩集の先駆けとなるようですわね。確かに、学者と云うよりは見た目の態度はともかく、その芯は繊細な芸術家気質だったのでしょうね」
「……ま、そんな後年の話はさておき、しばらく矢田部氏はクララの家に出入りして、諸々揉め事を起こしますが、それは次週以降と云うことでー」
(終)


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