Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第31回解説

【クララの明治日記 超訳版解説第31回】
「アンタのことなんてなんとも思ってないんだから、握手だってしてあげないんだから!
カテスラの作り方を教えてくれたって、感謝してあげるのはあくまで義理なんだからね、勘違いしないでよ!」
「……お逸、貴女、本当に恥ずかしくありませんの?」
「なに云ってるのよ! 今回の超訳日記紹介分はちゃんと明治初期の日本でも“ツンデレ”っていう概念があった証拠なのよ! ここぞとばかりに強調しないで、何処を強調するって云うのよ? いや、ない!」
ツンデレとやらの歴史的起源を語りたいなら、他のところでおやりなさい、他のところで! 大体“ツン”は兎も角“デレ”分はないのでしょう? 貴女にせよ、クララにせよ」
「……まあ、クララにも私にも流石に“世間体”っていうのがあるからね。ともあれ大久保三郎さんを巡るお話はまたの機会に」
「では、今回で舞台から退場する方にスポットを当てるという意味で、徳川家達公を」
「この後、家達公はイギリスに留学することとなり、後に一時日本を退去することになるクララとは約三年後の1880年、倫敦で再会することになります。
丁度この頃の駐英公使が森有礼氏だったこともあって、ロンドン郊外のクリスタル・パレスで4月24日に開かれたコンサートにクララ一家は招待され、もてなされることになります。ワールドワイドな活躍、よねぇ、本当に」
徳川家達は留学から帰国後、華族令の発布と共に最高位の公爵となり、明治23年に貴族院議員、そして明治36年から昭和8年まで、30年にもわたり貴族院議長を務めます」
「家達様は元旗本らによる開拓事業にも心を砕き、これを支援したこともあって、一族や譜代大名、旧旗本からは“16代さま”と慕われました。
そして大正最大の疑獄シーメンス事件のゴタゴタの際には、家達様さえ首を縦に振れば総理大臣に、という事態まで行ったようです。もっともこれは徳川一族の総意として残念ながら実現しませんでしたけれど」
「あと現在東京五輪の招致中ですけれど、戦前開催予定だった東京五輪招致委員会委員長、国際オリンピック委員会委員も家達は勤めていたそうですわ。“徳川家の後継者”にはそれだけのネームバリューがあり、実際に彼自身にも人柄が良かったのでしょうね」
「だけど、子供の頃には塀を登って叱られたり、クララのベットの上でピョンピョン跳ねまくっていたやんちゃさんだっただけどね」
「後に果たした功績と幼い頃の記録。それを同時に知ると感慨深いものがありますわね」
「で、その“将来”と云えば、私の弟の梅太郎に関する、心底から漏れた台詞があるね」
「ええ、“私の魔術師(チャーマー)”ですわね。
これは今風の言葉で言えば“ピエロ”でいいのかしら?」
「一般的な解説だと、次のような感じみたいね。
“チャーマーとは、ユーモアを使っていつも家族を楽しませる役割のことであり、家族を明るく、楽しませることで家族の重荷を解放しようとする”だって」
「……“後年のこと”を知っていると随分意味深ですわね」
「それについては、一歩一歩、この超訳日記上で紹介していくことでー」
(終)


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