Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第35回−3

1877年11月19日 月曜日
喜びや悲しみを伴って一日一日が足早に過ぎ去っていく。
私は喜びも悲しみも平静に受け止めようと心掛けている。
困難にもかかわらず、私たちは無事に毎日を送っている。新しい日記帳を始めるたびに、最初の日記帳のことを思い出す。
母からそれを貰った時の喜びと感激――そしてその純白の頁に字を書くのが勿体なくて仕方がなかったこと。
それ以来、日記をつけるのが私の第二の天性になってしまい、日記をつけないと気持ちが落ち着かない。
木挽町の生活はたいした変化もないが、先週末以来、ちょっと困った状態になっている。
使用人が金三郎一人で家事の大半を片付けなければならない。
ウィリイはまだ横浜で一生懸命勉強している。
父は気に障ることがあるらしく、一週間も私たちと一緒に食事をしないし、同じ部屋にいるのさえ拒む。
私たちはテーブルを小さくして、三人だけ――母とアディと私――で食事をしていたが「小さな子供を抱えた未亡人」のような気持ちだった。
夜は音楽を楽しむこともあり、本を読んで勉強することもあった。
でも、父の機嫌も治って、今日は東京府知事楠本正隆氏と一緒に博覧会に出かけて行った。
この間、母とアディと私は、梅太郎を連れて横浜へ行った。
母が、とても素敵な帽子を私に買ってくれた。絵に描けるとよいのだが――とっても綺麗で、パリから直輸入の羽根がついている。断然素晴らしい。


私たちは招魂祭のお祭を見に成瀬氏のお父様である旧幕臣の川村順次郎氏のところに招かれていた。
茶問屋であるそのご老人の家に行くには行ったが、日本に来て以来初めて見るような汚い家だった。
誰も英語を話す人がいなくて、母の云うことを私が通訳する羽目になり、訳が下手であったことは間違いない。
母は、早く切り上げて帰る口実として「新しい使用人に留守番をさせて出て来たが、その男は悪い人間かもしれないから、長く家を空けておけないと云って頂戴」と云った。
私はちゃんと訳したつもりだったが、どうやら訳し損なったようだ。
ご老人はすっかり腹を立てた様子で「私は悪い人間ではない。怖がることはない」と云った。
彼が悪者で、私たちは彼と一緒に出かけるのが怖い、と私が云ったのかと思ったらしかった。
しかしこの誤解はすぐに解けて、私たちは一緒に出かけた。
大変な人出で、何があるのかよく見えなかったけれど、競馬やオペラや相撲が行われているようだった。
私たちは競馬も相撲も素通りしてオペラに行った。
そこも大混雑だったが、足の悪いご老人が先に立って進んで行って道をつけて下さった。
見物人たちは親切に後ろへ下がって道をあけてくれた。
やがてよく見える小さい高台に来たが、きりっとした若い兵隊と老水兵が丁重に案内してくれた。
水兵は「バインバイ」「バインバイ」と行っていたが、あれで英語を喋っているつもりらしかった。
ご老人はそこまでついて来られなくて、下が不賛成だというように首を横に振っていた。
オペラというのは昔の「能」のことであるが、あまり古い昔のものなので、誰もその意味を理解できない。
今日の「芝居」はもともと能から発展したものである。
役者は屋根のある高い舞台の上にいて、その後ろに鼓や笛を吹く老人たちからなるオーケストラが坐っているが、時々押し潰した叫び声のような声を発する。
彼らの音楽は世にも奇妙な取り合わせであった。
衣装は古い凝ったもので、男なのにバッスル――腰を膨らませる腰当――を穿いている。
袴は日本語で「茶色」と云っているが、綺麗なクリーム色で、着物は緑色の地に金の紋が一杯ついている。
頭には白い鉢巻きをしている――外国式の鉢巻きで些か興が削がれるのだけれど。
この鉢巻きは後ろで結んで腰のあたりまで垂らしている。
中には顔から後ろに跳ね上がったような形の黒い帽子を被っている人もいる。
じっと立っている時は彫刻のように不動であり、歩く時は規則正しく厳かな歩調である。闊歩するのではなくて、能独特の足を前に押し出して行くような歩き方。
私はその荘重な動きにすっかり魅せられてしまった。
私たちが見たのは、喧嘩の場面と剣舞のようなものであったが、血が流れるわけではない。若い日本人が能に興味を持たない理由がよく分かる。
流血とか興奮するようなことが何もなくて静かすぎるのだ。
見終わって高台を下りたが、普段の仕事着を着た上品な顔立ちの男性が手を貸して丁重に下ろしてくれた。
群衆はこの上もなく礼儀正しく親切で、みんなが微笑を浮かべていて、怒ったような顔は一つも見られなかった。
相撲を見物するよりも、見物人を観察する方が面白かった。
巨大な肉の塊りが、狭い場所で相撲を取っている時の周囲の「顔の海」は実に奇妙なものであった。
私たちは円形劇場の斜面のようなところにいたが、何段にも並んでいる顔――お下げ髪、短く切った髪、青いハンカチ、黒い眼、浅黒い顔、色白の顔等々が不思議な調和をなしていた。
大群衆というものはどこで見ても荘厳なものであり、その中にいると畏怖の念が湧いてくる。
川村氏は花火が始まるまで私たちを引き止めたがったが、失礼して帰ってきた。
「クララさんだけでも残って、後から成瀬氏と一緒に帰ればよいではないですか?」
そう云われたが、それも辞退した。
お寺はすっかり変容している――床にはベルギー製の絨毯が敷いてあり、華麗な衣を纏った僧侶は、若い陽気な人ばかりで椅子に腰掛けている。でも。
ああ、なんということ!
神道の神聖な鏡の代わりに外国製の洗面所用の鏡が掛かっている!
驚くべき変革である。


日曜日にアディと教会から帰ってくる途中でビンガム公使に出会ったが、公使は踵を返して私たちと一緒に家まで来られ、しばらく腰掛けて休まれてからまた帰って行かれた。
途中の会話は面白かった。
公使は十五年前ほどに起こった通訳の殺人事件のことを話された。
「二度とそんなことがありませんように」
私がそう云うと、公使は云われた。
「私のいる間は大丈夫ですよ」
彼は祖国とご自分のお子さんのことを誇りに思っておられ、たえず両方を褒めておられる。本当に親切で人の良いご老人で、私もあの方の孫だったらよかったと思う。
それにうちのモクリッジお祖父さんにそっくりなのだ。
晩にはイギリス領事館の礼拝に行ったが、出席者はド・ボワンフィル夫妻、ショー氏、パークス卿夫妻と私たちだけであった。


今朝杉田先生のところに行き、親切な対応を受けた。
食事まで引き止められ、武さんの左側の上座に坐らされ、大名のように寄りかかるための肘のついた大きい柔らかい座布団をあてがわれた。
お料理の入った小さいお皿が一杯並んだ小さいテーブルが一人一人の前に置かれるのだ。
食後に結婚衣装を見せて頂いた。
三枚あって、一枚は黒地に深紅の桜の花と白い梅の刺繍があった。
もう一枚は地味な鼠色の縮緬で、いろんな花や花瓶が刺繍してあった。
あとの一枚は白地に金の縫い取りがあった。どれも素晴らしく美しいものだった。
よしこさんと私はこの着物を着せて貰って、貴婦人のようにお辞儀をしたり、気取って微笑したりして部屋の中を歩き回った。
「クララさん、貴女が結婚なさる時にこのうちの一枚を差し上げましょう」
武さんはわたしにそう仰って下さった。
杉田夫人は綺麗な小さい青い着物を持っておられるけれど、それは盛が赤ん坊の時に、ある大名が下さったものだそうだ。
「孫のためにしまっておくわ」夫人はそう云われた。
本当に楽しい訪問だった。
新橋の方へ行く途中で皇后様を拝する光栄に浴した。
皇后様は美しい衣装をまとった大勢の女官を従えて、立派な車に乗っておられた。道端にじっと立っていると、皇后様は真っ直ぐ私の方をご覧になったので、お顔がはっきり見えた。