Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第50回−3

1878年6月21日 金曜日
今朝、ヘップバン夫人が子馬の馬車を用意させて、居留地へ連れて行って下さった。
そこで母の注文の品を買い、ヘップバン夫人に見立てて頂いて、綺麗な帽子を買った。
他に、二、三箇所寄ってから山手に戻り、隣のシモンズ夫人をお訪ねした。
「午後テニスをしにいらっしゃい」
そう誘われたので、帰りを遅らせ午後七時の汽車にした。
午後ヘップバン夫人が昼寝をしておいでの間に、私はアニー・ブラウンを訪問しに出かけた。
しかし私は横浜は不案内な上、横浜の番地は売り出された順番で付けられているため場所が皆目見当が付かない。
だから途中で流しの人力車の車夫に「六十七番地ば何処か?」と尋ねてみた。
車夫は遠くに見える二本の松の木の間に建っている家を丁寧に指差して教えてくれた。
だから私はその車夫の人力車に乗って行くことにした。
しばらく威勢よく走ってから、車夫が「ここで人力車を降りて下さい」と云った。
そこから段々になっている道を、二、三段下りていく。
後についていくと、やがてある家の門の前で足を止め、得意気に。
「あそこでございます」
門を入り木の間の曲がりくねった道を歩いていくと、たらいで洗濯をしている娘さんのところへ来た。
「お嬢様はいらっしゃいますか?」
私がそう尋ねると、女は「見て参ります」と入って行き、やがて年上の女を連れて戻って来た。
この人は髪を結って貰っている最中だったらしい。
「誰に会いたいのですか?」
そう丁寧に聞いてきた彼女に、私がまた「お嬢様に」と云うと、彼女は「見て来る」と入って行った。
二、三分すると困惑したような顔をして戻って来た。
「“お嬢様”はこちらにはおられません。もっと詳しく、どういう人を探しているのか教えて頂けませんか?」
私は「私と同年齢で、ブラウンという名前だ」と答えると返ってきたのは意外な答え。
「ここにはサンズという人はいますけれど、ブラウンという名の人はいらっしゃいません。
もし宜しければ、ブラウンさんのおうちにご案内致しましょうか?」
私がお礼を云うと、坂道をかなり上って、家がはっきり見えるところまでついて来てくれた。
「大変お手数をかけて申し訳ありませんでした」
私はお礼とお詫びを云って人力車に戻ると、車夫にさっきの家は違っていたと云った。
その時ふと私は上を見あげた。
今さっき私が訪問していた建物の方をだ。
天然痘病院』
何故先程はそれが目に入らなかったのだろう? こんなに大きく看板に書いてあるのに。
私は勇気あるアメリカ娘の筈だけれど、流石にゾッとした。
呆然と見上げる私の視線の先。
二階のベランダの寝椅子に一人の患者が横になり新聞を読む姿が。
顔に疱瘡の後があるかどうか。
更に凝っと見つめると、新聞の影から、私をじっと見据える大きな荒々しい青い目が見えた。


慌てて逃げ出した私はなんとか無事、アニー・ブラウンの家に到着した。
玄関に出て来た使用人に「ホイットニーという者が東京から来た、とお嬢さんに云って欲しい」と頼んだ。
彼は玄関の中に私を待たせて二階に上がっていった。
そして次のような会話が取り交わされているのが否応なしに耳に入って来た。
「お嬢様、お客様がみえています」
「どなた?」
「東京からの方で、私は初めてお目にかかる方です」
「女の方?」
「はい、若い女の方でございます」
「私くらいの年?」
「はい、でももう少し年下で、小さい方です」
私はくっくっと笑ってしまって、その先は聞こえなかった。
「あら、クララじゃないの」
階段を下りてきたアニーが大声で叫ぶと、使用人はにやにや笑いながら台所へ消えていった。
アニーは客間に案内してくれたのだけど、部屋はごった返しになっていて、明らかに大掃除の最中だった。
ソファに坐って、私は自分の冒険談を威勢よく大袈裟に喋りまくった。
アニーは真面目一点張りで、笑わせるには相当の努力がいるのである。
まだ十六歳なのに三十歳くらいの感じである。それに六十歳の人ほどいろいろ病気を持っている。
彼女を訪問すると、いつもひどく憂鬱になる。
彼女は自分の置かれた現状に不満だらけなのだ。
『今年になって一回しかパーティーに招かれなかった』
『きっとオールド・ミスになるに違いない』
ああ、もしも彼女が真の幸福の源を知っていたなら、そんな愚痴を零している代わりに、元気を出して神様のため、あるいは自分の修練のためにつとめる筈だ。
私は二時間も彼女のところにいたのに、神様のことを一度も口にしなかった。
どうして私はこうも大事なことを忘れてしまうのだろう?
ヘップバーン先生の家に帰ってみると、夫人はシモンズ先生の所へテニスをしに行く支度をしておられた。
私もお伴をする支度をした。
シモンズ先生、ミス・ウイン、ハティ・ブラウンとガシー・ヴィーダーがテニスをしており、老婦人方やテニスを習いたての人たちがテラスにいた。
ガシーが私を歓迎してくれた。
ヘップバン夫人にくっついてテラスの方へ歩いていくと、ヘップバン先生がベールを取って「ご婦人方にご挨拶なさい」と云われた。
私は精一杯愛想良く挨拶した。
ヘップバン夫人は私をそばにおいて、いろいろ私について親切な説明をみんなにして下さった。
やがてお茶とお菓子が出され、私はガシーとルース・クラークのいるところへ行った。
雨が降ってきて、テニスをやっている人たちも、中に入って来たのだ。
ガシーが小声で囁いた。
「ルース・クラークはトム・ブラウアズと婚約しているらしいわよ」
トムはよく気の利くハンサムな青年である。
アニー・ブラウンも私に同じ事を言った。
それから「メーベル・ブルックはクック氏と結婚するらしい」とも云った。
十六歳や十七歳の女の子が、婚約だの結婚だのって不思議な話だ。
とにかく横浜で随分知識を得た。
そのうちお暇する時間になったので、ヘップバン家に荷物を取りに戻り、夫妻にさよならを云った。
それからシモンズ先生の家にもう一度行った。
素敵なパンとお菓子とお茶があり、舌肉もあった。
しかし私は舌肉を一口しか食べなかった。腐っているようなひどい臭いがしたのだ。
それからみんなにご挨拶して、人力車でフレールに行って、家へのお土産にお菓子を買った。
ここにいるうちに、さっきの腐った舌肉の影響がウイリィに現れ始めた。
兄は胸が悪くなり吐いた。
そして途中で「バットへ寄ってお薬を買うから先に駅に行くように」と私に云った。
私は荷物を全部持って一人で歩いて行き、やがて駅に着いた。
ドアが閉まり、発車のベルが鳴って、汽車は東京に向かって動き出した。
赤帽たちは私の方を見てにやにやしながらこう云った。
「次の汽車は十時!」
私はがっくりきて、もしウイリイがそこにいたらひどい目に遭わせるところだった。
だから私は「馬鹿な馬鹿な馬鹿な」と数回云うだけでなんとか我慢した。
それは『腹立ち紛れに帽子の箱を蹴飛ばして自分の帽子を台無しにする』とか。
『鞄をひっくり返して壊れやすい中身を粉々にする』といったことをするよりはましだったろう。
そのうちやっとウイリィがやって来た。
でも、もう今更どうしようもないので、家に電報を打ってから、次の汽車を待つ間、バラ夫人のところへった。
雨は土砂降りになるし、私は悲しくなるばかり。
バラ夫人の家に辿り着き、夫人の温かい胸に抱かれるまで、みちみち大粒の涙をぽろぽろ流した。
舌に痛みを覚えたので薬を飲み、それもやっと収まっていくらか元気になった。
夫人はアルバムを取り出して写真を見せて下さった。
息子さんは十六歳だが、最近送ってきた写真は、とてもよく撮れていて印象深い顔だった。
その若い顔には男らしさとやさしさが同居していて、私はすっかり魅せられてしまった。
深く胸を打たされたのは何故だか分からない。
『しばしの別れをだに嘆きし、愛するものの笑顔』にほんの少し似ていたからかも知れない。
夫人は母親として当然の誇りに満ちていた。
私がその写真に惹かれているのに気付いて、次のように云われた。
「気に入りました? この子を永久に差し上げてもいいのよ」
私はお礼を述べてから、こう切り返す。
「ご本人よりも写真を下さい」
けれど、お母様は写真を手放すことはできなかった。
彼の名前はオーランド・ベントンというのである。自分では「オーリー」と云っているらしい。
オーランドって、なんて素敵なロマンチックな名前!
素晴らしい顔の青年にピッタリの名前だ。
出かける時には雨も殆どやんでいた。
今度は乗り遅れることもなく、一時間後には母の腕の中にいた。
疲れ切って我が家ほど良いところはないと思った。
『小鳥の雛は 巣の中にいてこそ安全』