Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第51回−5

1878年7月7日 日曜日
新しい家の窓辺で、私はこれを書いている。
引っ越しはとても大変な騒ぎだ。
アメリカから日本に来る時でさえこれほど大変ではなかった。
木曜日、私たちは独立記念日を引っ越しによって祝したようなものだ。
それから丸三日間、一生懸命働いている。
けれど三日とも雨降りで一段と手間取ってしまった。 
金曜日に土砂降りの中を永田町へ来てみたら、箱や大きな家具が玄関にうず高く積み重ねてあった。
おまけに庭には縄や荷造りに使った物が散乱し、二階には両方の部屋に衣類がごちゃ混ぜになって積んである始末。
それを見た時には本当にがっかりしてしまった。
とはいえ、このまま放っておくわけにはいかない。
私は早速整理にかかって、少しは片付けたが昨日になってやっといくらかましと呼べる状態になった程度。
そこに助っ人にやってきたくれたのがお逸とおせき。
客間を見違えるように綺麗にしてくれた。
我が家の引っ越し舞台は、かなりの規模であった。
人足が約十名、学生二人、それと家の使用人全部と指揮を取って下さる疋田氏。
こんな沢山物を持っていることも、こんなにがらくたが沢山あることも、今初めて認識した。
昨日はこれが最後と思って木挽町に行き、ヤスと庭師に手伝わせて植木や花を全部移した。
私たちの所有物を全部持ち出し、手を加えた所も元に戻したら、今まで暮らしてきた家が随分殺風景であることに気付かされた。
そうなると、もう早くそこを出たいと思うばかり。
永田町の方はだいぶ窮屈だけれど、環境は良いし、涼しい。
近所にはいい方が大勢住んでおられる。
向かいの家は内務省前島密氏の家で、その隣は反乱軍の西郷隆盛の弟、西郷従道の家。
こちら側にはドイツ公使館、オーストリア公使館、フランス公使館がある。
家の西側に隣接しているのは出羽屋敷で、偶然にもおやおさんの生まれたところだ。お城のような大きな屋敷である。
私たちの家はもと大村公の所有であったことは、門の上の紋章でも明らかである。大村藩はお筆さんのお父様の出身の藩だ。
けれど、その屋敷は後に薩摩人たちの手に移り、現在は森家の所有である。


銀座から永田町への道はとても気持ちがよい。
まず賑やかな東京のブロードウェイから山下町に出て、そこから山下御門を入ると城内になる。
城内は広い平らな道の両側に古い建築の大きい家が並んでいる。
昔大名たちが江戸に出仕していた間住んでいたところなのだ。
屋敷の大きさから、取りわけ威風堂々とした門の構えから、何名ぐらいの人が住んでいたか、どれくらいの従者がいたのなどを想像することができる。
そしてたまに駕籠がこの無人の屋敷の前を通り過ぎて行くのを見ると、完全に封建時代に舞い戻ったような錯覚を起こす。
井伊掃部頭の大邸宅も私たちの通りに建っており、東京で最も立派な邸ということになっている。
位が皇后陛下の次にある太政大臣三条実美公は広大な西洋館、まるで宮殿のような邸に住んでいる。
天皇陛下のお祖父様中山忠能氏も同じ通りに素晴らしい屋敷を持っている。
今日は雨降りだったけれど、それでも私たちは教会に行った。ここからでは相当の距離である。
日曜学校には遅れてしまって、マクラレン先生の不興を買ってしまった。
出席者は少なかったけれど、グリーン先生は黙示録の中の「玉座の上の虹」について立派な説教をなさった。
それは私たちが長い間考え話し合ってきたことであり、私たちの守護神について、そして神の民に対する守護についてであった。
聖約の天使は私たちとともにあるに違いないと思う。
しかし私たちは天使を迎えるに値しない人間なのだ。
美しい見知らぬお方、私たちの貧しい家と心にお迎え申し上げます。