Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第56回−4

1878年9月2日 月曜日
今日の生徒は盛一人。
お逸はどうして来ないか分からない。
午後、母はお客様があったので、私は森氏の義姉であるおひろさんと一緒に東京府知事楠本正隆氏を訪ねた。
前にウィリイに下さると約束して下さった紹介状を、ウィリイが欲しいと云ってきたのだ。
近くなのでおひろさんと私は歩いて行った。
楠本氏は私たちを長く待たせるようなことはなかった。
すぐに、のっしのっしと重い足音が廊下に響き、振り返ると知事閣下が入口に厳然と立っておられた。
新しい紺の袴、真っ白なシャツの上に鼠色の着物、たった今履かれたと思われる真っ白の靴下。つま先の割れた足袋よりもずっとこの方が良い。
彼はにこやかに近寄って来られ、丁寧に手を差し伸べて握手をされた。
私はこの前伺った時のお礼と、前にウィリイがお世話になったことのお礼を申し上げると、知事は「どういたしまして」と仰った。
私は森氏のご親戚といって、おひろさんを紹介した。
楠本知事は私たちに椅子をすすめ、すぐに木挽町からストーブやテーブルが着いたかと尋ねられた。
それから父や母のことをお聞きになり、金沢のウィリイから便りがあったかと仰った。
「ええ、殆ど一日おきに手紙が来ます」
「それはそれは家族孝行な立派な青年だ」
「ええ、本当に」
おひろさんが熱心に賛同してくれた。
知事は更に、私たちが引っ越したのかどうか、今いるところにずっと住むつもりなのか、或いはウィリイのところへ行くつもりなのか、などとお聞きになった。
それから花や果物の話になった。
蓮やその他沢山の種類の水草の花が一面に咲いているご自分の庭の話をいつでも来て自由に庭の中を散歩するようにと云われた。
嬉しい申し出だったけれど、私は考え込まざるを得なかった。
ボートか何かがなかったら、一体どうやって動き回るのだろう?
知事閣下が、そのような水の多い庭を楽しまれているというのは、もしかしたら閣下が家鴨か水鳥ではないだろうか? そんな疑いをもってしまった。
その後、日本や清国の音楽の話が出たので、それについての私の知識を披露して大いに感心された。
「昔のオペラ――能が好きです」
「ほぉ、それでは芝居はどですか?」
「正直に言うと、お芝居はそれほどではないです」
「うん、貴女のような若い方はそうでしょう」
「でも忠臣蔵は一度見たいのです」
私がそう付け加えた、知事は嬉しい申し出をしてくれた。
「そうですか。いつかご一緒しましょうか?」
私はお礼を申し上げて是非お伴したいと申し上げた。
こういう芝居の話がかなり続いてから、私は何気なくお逸と私の誕生日のことや、私たちの年齢のことを喋ってしまった。
「いや、そんなお年なのですか。もっとお若いのだと思っていましたよ」
「ええ、どんどん年をとってしまいます。もうじぎお婆さんになります」
私がそう申し上げると、知事はからからとお笑いになって仰った。
「それはまだまだずっと先のことですね」
それから反乱軍の話になった。
「ウィリイが、兄がいないのでとても怖かったです」
「いや、怖い思いをさせてしまって誠に申し訳ない。しかし恐れることはありません。お宅の方々に危害が加わらぬよう、必ず私が手を打っておきますから。あの晩ご心配だったと分かっていましたら、特別の警備隊を派遣するのでしたのに」
また私の日本語を褒めて下さり、私が有名な人物のことをよく知っているので、日本史の勉強をしたのかとお聞きになった。
「私はお世辞を言う質ではないのですよ。特に若い人には。だがあなたの発音は実にきちんとしているし言葉遣いも良いし、声も綺麗だし、抑制がついている。どこでお習いになったのですか?」
こう褒められて私はすっかり嬉しくなってしまった。
これからは知事を面白がらせるために乱暴な日本語を使うようなことは絶対に慎まなければならないと思った。
私とのお喋りを楽しんでおられるご様子なので、私はチーズをくわえたカラスと、そのチーズをせしめるために、カラスの声を褒めた狐の物語を思い出した。
私はカラスの誤りを犯さないように、その後はあまり喋らなかった。
楠本知事のお国は、薩摩の近くの長崎だそうだ。
「私の日本語は訛りが強くてね」
そうしきりに仰ったが、勿論これは私が褒めることを期待されてのことだった。
知事は難しい漢語を沢山入れた役人の言葉を使われるが、私は辛うじて話し相手が務まった。
そして私のアルバムに次の詩を書いて返して下さった。
『山も海も ともに 永遠なり』
そして「凛」と署名されたが、これが知事のお名前である。
正式の姓名は楠本正隆といい、凛というのは字のことである。
そのうちに別の客がみえたので、父や母によろしくとの伝言を頂いてお暇した。
そのあと南夫人のところに寄り、メイのところにも寄ってメイと一緒に家まで歩いてきた。