Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第65回解説

【クララの明治日記 超訳版解説第65回】
「今回の最初の日記で、明治当初の日本音楽の在り方の方向性が少し見えますわね」
「他の分野は欧米文明を徹底的に追従したのに対し、音楽は“和魂洋才“とする予定だった、ということみたい。
雅楽稽古所の開所式に外国の音楽隊は外国の音楽を演奏したのに対して、日本側は洋服で雅楽の演奏、なんて不思議な取り合わせ。
こちらの方向で日本の音楽界が進んでいったらどうなったか、興味深いかも? 
なんで方針転換して、そっくりそのまま西洋風の音楽教育になっちゃったんだろ?」
「それをよりによって貴女が云いますの、貴女が!?」
「えっ? なんで私が関係あるわけ???」
「貴女の未来の旦那様でしょうが、この国の音楽教育の方向性を決定づけたのはっ!」
「…………ああ、なるほど(ポン)」
「まったく貴女って人は! お逸が頼りにならないので、わたくしが解説しますわ。
東京音楽学校、つまり現在の東京芸大の初代校長は伊沢修二という人物なのですけれど、この方が明治十年ハーバード大学留学中に、全く個人的にメーソンという教師の方に音楽を師事して貰いましたの。
その時の経験に基づいて書かれたのが“学校唱歌に用ふべき音楽取調べの事業に着手すべき見込書”。
彼はこの提案書を、当時のアメリカ留学生監督官の目加田種太郎――つまり、お逸の未来の旦那様との連名で提出することになりますわ。
そしてこの提案書が後の日本の音楽教育の道筋を決定づけることにことになりますの。
ちなみに何故連名なのかと云えば、伊沢氏と一緒に目加田氏もメーソン氏に音楽教育を受けていたからのようね。
つまり、現在の日本の音楽教育の源流はこの二人の経験とその師であるメーソン氏によるもの、ということですわ」
「なるほど、なるほど(ポンポン)」
「……この娘が父上と同じくらい筆まめだったら、明治史の研究もさぞ進んだことでしょうに。。。」
「そっか。だから、クララの得意曲の、当時は特別に有名でもなかったスコットランド民謡が、日本の音楽教科書には必ず載るようになったんだ」
「ええ、貴女から旦那様に伝わった、もしくは再来日後のクララから直接、後の目加田男爵に伝わったと考えるのが無理ない道筋でしょうね。“蛍の光”については」
「意外なところで意外な結びつきがあるもんだねぇ」
「……確かにその通りですけれども、貴女がそれを云うのは色々な意味で納得しかねますわ」
「なんだか物凄くバカにされた気がするけど、気にしないで今週のところはこんなもので。
来週は1878年のクリスマス編……になるのかな?」
(終)


と云った所で、今週も最後までお付き合い下さった方、有り難うございましたm(_)m。
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