Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第74回−6

1879年4月10日 木曜日
今日は音楽会が夕方にあるので、その準備をしている真っ最中に、母が階段のてっぺんで足を踏み外して、一番下まで落ちてしまった。
私はあんまり吃驚して、声も出なかった。
急いで抱き起こし、シュウがソファーに寝かせた。
幸い骨も折らず、ただひどく吃驚して、いつになく動転していただけだった。
この階段はとても急で狭く、梯子に毛の生えたような者だったので、前から危ないと思っていた。
父も一度、真ん中のところから落ちたことがある。
この程度ですんだのは、まっくた神のご加護のお陰だ。
困ったのは、あと二、三時間で沢山のお客がみえるのに、母が起きられないし、父も学校だということだった。
それで母をベットに寝かせて、背中に塗り薬をすりこみ、鎮痛剤を少し飲ませてから、ド・ボワンヴィル夫人に手紙を書いた。
だが奥様も今晩はお客があって来られないという。
お逸がとても心配して、駆けつけてきてくれた。
「ディクソン氏を呼んだら?」
そうと云ったが、今日はディクソン氏も無理なのだ。
「もしクララがサイル博士のお相手を引き受けられるなら、小鹿兄様がユーイング氏、義母様が杉田家のご婦人方、滝村氏が音楽方の人たちを面倒みるんだけど?」
しばらくして、母の気分がずっとよくなり、ソファに坐ったが、あまり動き回れない。
部屋やテーブルの支度がすむと、忠実なシュウが母を両手で抱えあげて、階段を注意深くおりた。
母がシュウの肩に寄りかかって客間に入ってきたので、待っておられた佐々木氏は吃驚なさった。
洋服に白木綿の手袋をはめた厳めしい林広守氏が次にみえ、それから滝村氏と、次いで六人の楽士方が全員でみえた。
私は玄関で挨拶をし、お礼を云った。
笙を持って、とても若くみえる人がいた。
「フルートを吹けるんですか?」
滝村氏に聞くと「できるけれども、息子の方が上手ですよ」と云う。
せいぜい二十五ぐらいと思っていたのに、息子さんは十八から二十と分かり、本当に驚いた。
サイル博士を待つ間、音楽方の人たちは楽器の調子を合わせた。
琵琶、琴、和琴、笛、笙、ひちりき、それに別種の音楽、楽器に属するモキンが加わった。
間もなくサイル博士がみえた。
大きくてあたたかく、まるでお日様のような方だ。
「この子は誰?」
アディを見てそう聞かれたので「妹です」と云うと「あ、そうそう」と云って、外套を脱ぎに行かれた。
じきに演奏が始まり、むせぶような調べが流れた。
隠居所でその音を耳にした安房守は、昔日の将軍の御威光を思い起こされたことだろう。
だがアングロ・サクソン人にはそのような思い出があろう筈もなく、妙なる調べは無意味な不協和音となって、太って丸い顔には笑いさえ浮かんでいた。
ああ、日出ずる国のミューズの神よ、無知な外国人を許し給え!
対照的に、それから間もなくしてみえたユーイング氏はこう云っていた。
「あのむせび泣くような音色は素晴らしいですね」
次は伊勢の海の歌だったが、笛を吹く人の親指があまりよくしなうので、疋田夫人は「指が曲がっているから悪人でしょ」と囁いた。
笏拍子は背筋をぴんと伸ばし、目を閉じて、拍子を打つ時だけ手を動かした。
口を少しあけて坐っている姿をユーイング氏は「口から水を出している河の神様みたいだ」と云った。
琴は天井を見つめ、音楽に埋没しているようだったが、ひちりきは頬を膨らまし、顔を真っ赤にして吹くので、恵比寿様か大黒様のようだった。
声の良い上氏、それから知らないハンサムな青年もいた。
ちなみに小鹿さんは音楽が嫌いでだ。
ことに日本音楽は大の苦手なのだが、とても愛想よくユーイング氏の相手をして下さった。
それから茶菓がまわされ、皆とても喜んだ。
ユーイング氏はケーキとゼリーがとても気に入って、サイル博士は「こんなおいしいサンドイッチは初めてだ」と仰った。
音楽方の人たちも盛んな食欲で、サンドイッチ、ゼリー、ブラマンジェ、鳥のサラダ、アーモンド、干しぶどう、マコロン、ジャム、等々を次々と平らげた。
芸術に身も心も捧げている人の胃袋がこうも大きいとは!


簡単な夕食が終わると、サイル博士は軍歌とか祝祭曲とか葬送曲など西洋音楽のいろいろな例を演奏した。
その間、ユーイング氏と私は次のような会話をした。
「火曜のチェンバレン氏の講演はよかったですね。ジェームズ船長のよりずっといい」
「はい、面白かったですわ」
「ところで向島にはもういらっしゃいましたか?」
「はい、月曜日に。あなたは?」
「昨日行きましたがね、雨と風で花は駄目でした。日曜日には上野に行きましたよ。あそこも人が沢山出てました」
「ほんとに、お天気がああよくては誘惑されますものね」
「誘惑ですって! まるで日曜に出かけるのが悪いみたいですね」
「あら、悪いと思いますわ。スコットランド長老教会でいらっしゃいましょう?」
「そうですよ」
「叱られますよ」
「叱られたって私に効き目はありませんよ」
丁度その時サイル博士のもの悲しいメロディに気付き、ユーイング氏は云った。
「僕は、悲しい音楽はとても苦手でね。あなたは?」
「私は情無しらしいのです。葬送行進曲のような悲しい音楽を聞いていも平気でいられるんです」
「あ、それはそうとは限りませんね。きっと情がありすぎるんでしょう」
「おまけに良心もないらしいんです」
「さっきのお説教の様子では、そちらの方は沢山お持ちだと思いますがね」
それから滝村氏が東儀氏の「冬の猿橋」を弾いてほしいと云った。
ユーイング氏は、皇后陛下からパークス卿夫人への御歌は「長足の雁は何故家路を急ぐ云々」で「野雁」ではなかったと云った。
冬の猿橋」はとてもよかったが、ややテンポが遅すぎた。
それがすむと、ユーイング氏は残りたがっていたが、外国人はみな帰ることになった。
「こんな素晴らしいものは聞いたことがない」
杉田家の婦人たちもそう云って帰られた。
残りの人たちは私のオルガンに悩まされ、仕方なしに次々にこう云った。
「日本にはこんな素敵なものはありません」
「こんな幅の広さや、表現の豊かさは日本音楽にないものです」
それから深々とお辞儀をし「たいそうなご馳走!」にお礼を云って帰った。
私たちの方も滝村氏を通じて、お礼を述べた。
「この雨の中を、このようなむさ苦しいところにご足労を頂きありがたい」等々。
我ながら、すっかり日本の習慣に染まってしまったようだ。
最後のお客が帰られ、提灯の火が門を通って見えなくなると、誰かが「月琴を弾こう」と云った。
しかし、思いやり深い勝夫人はこう云って下さった。
「アンナさんはすぐ寝なくてはいけないから、やめなさい」
それでお逸と私は、滝村氏や田中と一緒に後片付けをして寝た。