Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第75回−6

1879年4月19日 土曜日 
母は昨日の晩、シモンズ先生のご指示を受けるため、私を横浜にやることにした。
それでド・ボワンヴィル夫人に、一緒に行って頂けるか手紙を書いた。
了承の返事が来たので、すぐに出かける用意をし、今朝夫人とマリーに停車場で落ち合った。
午前中にシモンズ先生のところへ行きたかったので、横浜に着いてから大忙し。
まずショーベー絹物店に行き、スモーキングキャップを見た。
マニング博士がド・ボワンヴィル氏より、シギを一羽多く撃って賭に勝ったので、贈り物にするのだ。
それからエドワードに行って、つけの精算をし、次に母の時計を取りに時計屋へ行った。
店主のフランス人はとても親切だ。
一ドル払うと、いつものように二十五セント割り引いてくれたのでチップにあげた。
「珍しく善良な人ですね」
ド・ボワンヴィル夫人はそう云っていた。
それからヴィンセント夫人の店へ押しかけたが、品数はひどく少なかった。
帽子はとてもおかしな形の麦蕎のと、フェルトのが三つ。春のファッションは来月フランス船が着くまで入らないという。
なんて待ち遠しい! 
ド・ボワンヴィル夫人は娘さんのマリーの写真を撮りにいらっしゃるので、ここで別れた。
それから典型的なアメリカ人の経営する典型的食料品店パイオニア・ストアに行った。
私が訪れたのは初めてだったけれど、母がよく話をするので、林檎の並べ方から碾いたコーヒーの匂いまでよく知っている感じがした。
イギリス人は「マーム」と「ミス」を使い分ける。
しかし、ブラス店主はアメリカ式に「マーム」と私にも呼びかけるので、懐かしくて、つい、ちょっと買い物に来た奥さん連のようにお喋りしてしまった。
アメリカだったらこんなことはできない。
必要なものは全部買い、ついでに途中で食べる棗椰子の実も少し買った<行儀の悪いアメリカ人!>。
住所を云ったが「全然分からないから紙に書いてくれ」というので、読み方もついでに教えてあげた。
周りの日本人はひどく面白がっていた。


シモンズ先生の家に行くと、お留守で三時までお帰りにならないという。
「では、野毛病院の方に行きます」
一番大切な用事は先生に会うことなのでそう告げると、先生のお母様に「食事をしてからになさい」と云われた。
食事中、お祖父様のお話相手をつとめると、ひどく喜ばれた。
まるで二十かそこらの若者のように振る舞って、ジップの首輪に付けた「俺はシモンズ先生の犬だ。お前は誰の犬だ」という自作の詩を大得意で見せて下さった。
それから庭を抜けて、ヘップバン夫人に会いに行った。
その途中、ウィリイに頼まれた小さなカップと受け皿をブラウア夫人に届け、そのお礼に夫人の飼っている鸚鵡に「バカ」と云われた。
ヘップバン夫人は、やさくし迎えて下さった。
ピンクの絹レースの帽子が、微笑む顔にぴったりと似合っていた。
「二階に行って荷物を置いていらっしゃい」
泊まるのかと思われて、そう仰るので「母が階段から落ちて云々」と理由を話した。
夫人はとても心配して下さり、書斎からヘップバン先生を呼んでこられ、くわしく症状などを聞いて下さった。
お二人が東京にいらっしゃったら、どんなによいだろうに。
野毛病院ではシモンズ先生から処方箋を頂き、大分安心した。
ウィリイがいないので、母の身体には私が気を付けなくては。
だがまったく経験不足だ。
三時十五分の汽車には乗りそこね、ド・ボワンヴィル夫人においてきぼりにされ、慌ててしまった。
東京、横浜間を一人で旅したことはなかったので、支えを全部なくして、この世でたった一人になった思いに。
ヘップバン夫人の家に戻れば、日曜までいらっしゃいと云われるので、とうとう決心して一人で帰ることにした。
乗客の中には二等切符を持った騒がしいドイツ人やイギリス人がいて困ったなと思っていると、なんと嬉しいことに、グリーン氏の穏やかな顔を見かけた。
「ああ、グリーンさん、これこそ天の助けですわ」
他の人をやり過ごして呼びかけ、事情を説明すると、騎士のようにバックや傘を持って下さった。
お陰で、それれまでは注意を惹いてはまずいと思っていた外国人たちでさえ、平気で見ることができた。
途中楽しくお喋りをして家に帰ると、新左衛門が私を置いてきぼりにした理由を報告した。
ド・ボワンヴィルの奥様がマリーが「ヤカマシイ」ので約束の四時まで待てなかったらしい。