Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第77回−3

1879年5月1日 木曜日
今日は中村正直氏の同人社女学校が平河町達磨坂に開校する記念すべき日である。
母はここで教えるように頼まれているのだ。
今朝九時に行き、十二時から宴会で、二時までいた。
二十名くらいの生徒が集まった他、皇后様の学校から女の先生、師範学校の卒業生数名、津田、柴田、中村、勝各氏とその家族、主事二名に津田氏の生徒、それに私たちというやや雑多な集まりだった。
中村先生がまず挨拶をした。
早口なので分かったのは大体次の通りだった。
「聖堂までは遠いため、このあたりに女学校が欲しいということは長年いわれてまいりましたが、今日ここにめでたく開校いたすことになりました。
長い話は他の方々にして頂くといたしまして、その前に一言申し上げたいと思います。
婦人というものはご存じのように家庭を築き、子供の養育にあたります。
子供の時に悪い者は長じても悪い人間になり、正しい訓練を受ければ良い人間となり、お国の役にたちます。
良い子を作るには良い母が必要であり、そのために教養ある貞淑な婦人を作ることこそ、この学校の目的であります。
日本の未来はあなた方の肩にかかっております。
ナポレオン、ワシントン、フランクリン、ウェズリーのような外国の偉人の母を考え、将来の世代を正しく育てあげて欲しいと思います。
またここでホイットニー夫人をご紹介したいと思います。
夫人は教養がおありになるばかりでなく、聖書を深く信じ実行なさっておられる、まことに教師としてふさわしい方です。
聖書こそ若人のしるべであり、夫人はご自分のためではなく、あなた方のために教鞭をとられるのですから、心して授業を受けて欲しいと思います。
これで話はおしまいといたします」


次に津田氏が立ち、勝氏より先になることを詫びた後、話を始めた。
「今日、特に重要な話はありませんが、何かということですので、少しばかり考えておりますことを述べさせていただきます。
中村先生も仰ったように、夫人は国の基であり、したがって女子教育は今日もっとも大切なことであり、この学校が成功することを心より祈っております。
先程、中村先生は西洋の偉人の母にふれられましたが、孔子の母も忘れてはなりますまい。
あの母があったればこそ、かの偉大な哲学者が生まれたのです。
インド、トルコ、そして清国の女子は大変無智で、家庭に閉じこめられているため、何一つ世間のことを知らず、そのため子供の教育にもあたれず、なんら国の役に立つことがありません。
日本では男子教育が盛んに行っておりますが、女子教育も忘れてはなりますまい。
さもないと一本の梅の木の片側だけが伸びて、花を咲かせよう実をつけるようになり、反対側には何もついてないというおかしなことになるでしょう。
両側が共に伸びなければ、少しも美しい木にはなりません」
ここで津田氏はいつもの癖で、独特の言い方で女子の義務について語り出し、聞く人を笑わせた。
それから口を極めて母を褒めそやしたが、幸い母には何を云っているのか分からなかった。
次に柴田氏が殿様のように厳めしい顔をして、子供のしつけ方について重々しい声でいろいろと良いアドバイスを与えた。
その様子から、女生徒たちは「柴田氏には近く子供が生まれるに違いない」と思ったらしく、おかしがっていた。


スピーチが全部済むと、宴会になった。
しかし女の人たちは別席で、私たちだけが勝氏、津田氏、中村氏と一緒に坐らされたので、当惑してしまった。
賑やかに話が進むうち、突然勝氏が後ろに控えていた佐藤主事に尋ねた。
「佐藤、寄宿生は何処に寝るのか?」
「はい、元の男子寮に入ることになっております」
「何、あの門の近くの?」
「さようでございます」
「やあ、ひどい所。他人様の娘だからと手を抜いてはいけない。
こういうことを始めたからには、自分の娘のように気を配らねば。
特に最初が肝心だ。何かあればそれみたことかと必ず云われる。
女子の部屋は教室の裏にして、建物も畳も新しくして、男子のような粗末なものはいけない」
「はい、先生、本当にそうでございます」
中村氏はそう云い、勝氏は続けた。
「それに誰か責任者をつけなくてはな。
年のいった女で、生徒のことを思ってくれ、厳しいが親切といったような――」
「はいはい、まことにその通りで、先生の御助言は有り難いことでございます」
「佐藤君、理事を呼んでくれんかね。大切なことだからね」
佐藤はお辞儀をすると、直ちに部屋を出、すぐに背が低く、生真面目な顔つきの年嵩の男を先にして戻ってきた。
男は一座にお辞儀をすると、クリーム色の袴を綺麗に広げ、手を膝にして坐った。
中村氏はそこで勝氏の云ったことを繰り返し、貴重な御助言をすべて実行に移すべく努力するように命じた。
老人は云われたとおりにすることを約束し、その他に勝氏がこうしたらああしたらと云われたことを一心に聞いていた。
私はこのやりとりにとても興味があったので、一生懸命理解しようとした。
二時に散会になり、それぞれ人力車や徒歩で帰った。
先生の中にとても絵の上手な人がいて、私のアルバムに墨で、牡丹や藤の絵と、それにふさわしい詩をを添えて書いて下さった。
この新しい事業に神の祝福の多からんことを。