Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

クララの明治日記 超訳版第78回−5

1879年5月13日 水曜日 
また雨でじめじめした日だったが、授業が終わった後、今日はアジア協会の日なので聖堂と中村氏宅に行く支度をした。
中村氏のところでは楽しかった。
お嬢様のたか子さんが私に「ピアノを教えて欲しい」と云われた。
良いピアノだけど音がすっかり狂っていて、特に高い方の音を聞くのは苦痛だった。
とても良いオルガンも持っていたが、勿論、うちのエステー・オルガンとは全然違う。
スージー・コクランがカナダに帰るまで、おたか――洗礼名はバーサ――に教えていたらしい。
とてもよいお嬢様で、することが徹底的だ。
実際音符の名前や位置についていろいろ聞かれ、今まで考えたこともなかったので困ってしまった。
他のことと同様、音楽についても私はまったく非科学的だ。
おたかさんは上手になると思う。
小石川から聖堂に行ったら、来ているのは男の人が数人とミス・ピットマンだけだった。
着いた時、丁度役員の選挙中だった。
間もなくアトキンソン氏が、日本人の食べる砂糖菓子の一種のアメの製法について話しだした。
だが化学分析なので、私にはつまらなかった。
アストン氏の論文は1808年に、長崎のオランダ人を侵略したイギリス軍艦フェートン号事件についてで、時の役人のトキエモンの書いた一種の日記だった。
チェンバレン氏が読んで、とても面白かったが、日本人の見せた臆病ぶりがよく分かり、日本人が聞いていなくてよかったと思った。
帰りはひどく雨が降ったが、人力車の中は無論平気だった。