Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第81回解説

【クララの明治日記 超訳版解説第81回】
「本当にモテモテですわね、お逸。
でも、この当時の日本では、十八を過ぎればもう“行き遅れ”でしたかしら?」
「……わたしのことは兎も角!
上杉茂憲氏と大鳥家のおひなさん、やっぱり離婚してたのね。
結婚式が1878年5月13日だから、実質一年足らず?
随分と前からクララの日記の中でも不仲なことが記録されていたし」
「おひなさんと別れて一年どころか、結婚して一年で再婚相手探しでは、貴女が憤慨するのは無理もありませんわね。
ましてや、二人は顔見知りなのですから」
「ま、クララの日記を読む限り、元々おひなさん、男性嫌いだった節があるけれどね。
開拓使女学校で勉強していただけあって、思想もかなりリベラルっぽかったようだし。
ちなみにこの後、おひなさんは奥田象三という方と再婚して、娘さんを産んでいるわ。
この娘さんの結婚相手が、三共――今は合併して第一三共――の創始者、塩原又策氏ね。
更に云うと、長男の富士太郎さんの娘の結婚相手が有名な評論家の河上徹太郎氏。
けれどおかしなことに、河上氏、自分の義理の祖父に当たる大鳥圭介氏を猛批判してたり。
某F氏と同じような視点で、うちの父様や榎本のおじ様と同様に批判しているわ。
でも、どうにもピントがずれているように思えるけど、長くなるのでこの話はここまでということで」
「では、それ以外の話題ですわね。
ピクニックの模様ですけれど、津田氏は相変わらず愉快ですわね。
特に遅れてやって来た津田氏の服装描写に関しては、本当に目に浮かびますわ」
「クララも容赦ないというか、親愛の情を込め過ぎというか、本当に一緒にいて楽しい人だったんだろうね。
娘の津田梅子さん、もしアメリカに渡米せず、この父親と一緒に過ごしたらどんな人になってたんだろう?
津田塾大学が、津田農業大学になっていたとか?」
「……その前に、大学の経営が成り立たず破綻していたと思いますわよ」
「あと最後に、アンダーソン博士の日本美術に関する講演を工部大学校の美術館に聞きに行った際の話から。
夫人の方は頻繁に登場するド・ボワンヴィル氏についての改めての紹介だけど、名前から分かるように氏はフランス人の、明治政府のお雇い建築家ね。
ただ今日、その設計した建築物は何一つ残っていないので、知名度は殆どゼロだよね」
「何一つ残っていないというのは“それなりの理由”がある気がいたしますわよ。。。」
「例えば、地震対策とか、地震対策とか、地震対策とかのことだよねー。
そもそもフランスで大きな地震があった、なんて話、聞いたことないし」
「しかも本人にその自覚があったと思われるのが、こうしてクララの日記によって裏付けられてしまいましたからね。
本当に恐ろしいことですわ。。。」
「ていうか、いまこの推測を元にググったら、この数年後の話なんだけど、
『建設中だった皇居謁見所に地震の被害があったことはボアンヴィルにとってかなりの痛手であったはずである。』なんて記述が出てきたよー! 
どうもこれが原因で解雇されて、この後、あの有名なコンドル氏がメインとなって日本の建築界の西洋化が図られた、と云う展開みたい」
「……ス、ストライク過ぎますわね」
「恐るべし、グーグル先生! 
しかもよく読むと、ここでもクララの日記が参考文献に使われてるよ」
「本当にネタの宝庫ですわね、クララの日記は」
(終)


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