Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第84回−1

1879年7月6日 日曜   
午後、港のコレラ騒ぎのため金沢に行かれなくなったことを告げに、母と勝夫人のところに行った。
その折り、この話し好きな夫人はぞっとするような経験をいろいろ話して下さった。
本当に波瀾万丈の人生を送られてきたのだ。
安房がいない時でした」
勝夫人はそう切り出された。
「江戸の何ヶ所でコレラが発生したという知らせを聞きました。
二十五年ぐらい前の話のことです。
その頃は田町の氷川神社の下に住んでおりました。
子供たちはまだとても小さくて、おゆめは十、小太郎が八つ、小鹿が七つで、あそこにいる逸はまだ生まれてもおりませんでした。
安房から預けられた大切な子供たちですから、それは注意をしておりました。
何事も起こらず過ぎていきましたが、ある日、髪結いの母親が病気になったと聞きました。
良いおばあさんで気やすくしていたので様子を見に行きましたら、病気になったのは娘の方で、四ッ頃、今で云えば夜の十時頃に、ひどい痛みに苦しみだし、何をしても治らないのでした。
家に帰ると、じきに使いが来て、娘が死んだと云ってきました。
また、友達の家から籠で帰宅の途中亡くなった男の方もありました。
安房はおりませんし、私は心配で、毎晩みんなが寝静まった後、蝋燭を持って見回り、一人一人顔をのぞきこんで異常がないかを確かめ、翌朝また一番に起きて、各部屋を調べました。
お陰様で十五人の大家族も誰一人あの恐ろしい病気にかからずにすみました。
ほんとうに恐ろしい、ひどいことでした」
そう云うと老女は溜息をついて、まるで過去の苦労が書いてあるかのように、美しい庭の植込み越しに、遠くの青い丘や空のかなたを見つめた。
それからもう一度溜息をつくと、頭を振りお茶を入れて飲んだ。
地震の経験はおありですか、オクサマ?」
私はそう聞いた。
地震ですか? ありますとも。
コレラのつい一年前に大地震があって、江戸の殆どがやられましたよ」
「どうか聞かせて下さい」
「前にも申しましたように、主人は仕事で長崎におりました。
その頃軍艦奉行をしておりましたので、よく家を空けましてね。
小さい子供たちと使用人の面倒をみなくてはなりませんでした。
一月の夜の十時頃で、そろそろ寝ようかという時、家がミシミシミシと軽く揺れ出しました。
『ああ、地震だわ。すぐ終わるでしょう』
と思った途端、地面の中で遠くの雷が聞こえるような音がして、大揺れが次から次へと来て、瓦が落ち障子が倒れ二階がグラリと傾きました。
それは恐ろしくて、三人の子供たちと老母を抱えて、近くの竹藪に逃げ込みました。
竹の根は絡み合っているので地割れに呑まれることがないのです。
真っ暗な恐ろしく寒い夜で、空は家の焼ける真っ赤な炎で明るくなっていました。
あたりは人の悲鳴と火の粉が飛びかい、余震が絶えず地鳴りがして、これが明け方まで続きました。
明るくなってようやく歩けるようになって見てみると、一夜にして江戸の街はメチャクチャでした。
家の者は全部無事でしたが、向かいの家の女の子は落ちてきたもので下敷きになって死にました。
他にもひどいことがいっぱい起きました。
老母と娘が住んでいたある家では、地震が始まると戸口から飛び出して、母親は逃げられたのですが、落ちてきた梁で娘は動けなくなってしまったのです。
娘のいないことに気づいた母親が戻ってみると、近くで火の手が上がり、手の施しようもないのです。
哀れな老母は気が狂ったように、通りがかりの誰彼に『タスケ、タスケ』と叫びました。
親切な近所の人たちが、自分も困っているところを、助けてやろうとしましたが無駄でした。
娘はそれを見るとこう云いました。
『逃げて下さい。助からないんですから。私のために危ないことはしないで。お母さん、どうぞ逃げて。
これも定めです。後生ですから皆さんも逃げて下さい。無駄なことなんです』
火の手が近づき、健気な娘が母に逃げるようにいう声が聞こえました。
老母は気も狂わんばかりになって走りまわり
『誰かかわいいおはなを助けてください。ああナムアミダブツ、どうぞ娘をお助け下さい』
そう叫んでいましたが、誰も来ませんし、そもそも手の施しようがありません。
とうとう通行人が哀れんで、手近な布団をつかんで、仰向けになった娘の顔に投げて、息の根をとめてやったのです。
こんなことがたくさん起こりました。
家の者が全部助かってこんな有り難いことはありません」


老婦人が話好きなのをみて、水を向けると、他にも興味深い話をして下さった。
東京の大部分を水浸しにし、特に下町では床上まで水が来て、神棚まで届いたところもあるという津波のことや、勝家が吹き飛んでしまった嵐のことなども伺った。
「はい、この部屋でしたよ。三人の子供たちを抱え、傘をさして、いつ死ぬかと思いました」
夫人は部屋を見回しながら仰った。
「上野の戦の時もここにいらっしゃったのですか?」
「いえ、あの時は向こうの寺の近くに住んでおりました。
官軍はことに安房を目の仇にして、門のところに大筒を三つも置いて、抜刀して座敷に駆け込んできて怒鳴りました。
安房! 安房守は何処だ。外道、出て来い、ヤーヤー!』とね。
ああほんとうに恐ろしいことでした。
もうあんな目には二度と遭いたくありません」
「オクサマ、いろいろなことがおありでしたね。
苦労なさったでしょうが、これからは静かに暮らされますでしょう」
私は立ち上がりながら云った。
「ハイ、アリガトー」
そうお辞儀をしながらオクサマは仰った。
「もう余生はきっと何事もなく送れると思っております。サヨーナラ!」
その言葉に送られ、私たちは帰った。