Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第88回−3

1879年8月13日 水曜
今日、母と上野に行き、大木の下や名公の墓所の涼しい陰で遊んだ。
上野は美しいところで、神々が住むにふさわしいところだ。
私たちは精養軒に行き、ボーイに「スズミ」<涼を求め>に来たのだと云うと、一番涼しいところだと云って、大広間に案内してくれた。窓と窓との間においてある丸いテーブルに坐って、私たちは本を読んだり、美しい景色を愛でながらレモネードを飲み、ケーキを食べた。一方には庭があり、手入れの行き届いた芝生に、華やかな花壇が生気を与え、向こう側の公園と下方の静かな池を見下ろすところに東屋があった。
もう一方には、大きな胴の大仏が瞑想にふけるごとくに眼を下に向け、祈るが如くに唇を半ば開いて静かに坐し、すべてのものを見下ろしていた。
仏像の頭の金の光背が午後の日ざしを受けて光っていた。
庭の裾のところ、ゆるやかな坂を下りて行ったところには池が。
澄んだ銀色の水をたたえ、周囲の岸にはとても小さな日本家屋が立ち並び、真ん中に島があって、ひと続きの反り橋を渡って行くと、海の神である弁天様の社が立っていた。
それは鮮やかな赤い色に塗られ、屋根の先がそり返っていて、金の飾りが光っていた。
近くにはほのかな色合いのピンクと白の蓮の花が、まるで美しい人魚が女王様の宮殿を見上げているように咲いていた。
そしてこちらへ吹いてくるそよ風は、お寺から笙と笛とひちりきの音を運んで来た。
その調べは、遠くから、蓮の息吹きに乗って銀色の池を越えて一団と甘美に聞こえた。
それは美しい情景だった。
向こうには無数の家と塔のある町があるが、池から立ちのぼる霞が掛かり遠くから微かに見え、未来の夢の幻のように見えた。
右側には、窓枠を通して薄暗く涼しい森が壮大な古い絵のように見えた。
そよ風は老木を敬うように葉の一枚一枚にそっと触れて通り過ぎて行き、無数の虫が高く低くすだき、その荘厳な絵が虫の生命で生き返ったように思われた。
つややかな羽と、ぎらぎらした黒い眼をした鴉が一羽近くの枝にとまり、悲しい非音楽的な声で感情を吐露し、永遠に過ぎ去った過去を悔やんでいるようだった。
去年の秋の古い落葉が散り敷き、春の新芽が出ている土の香りの漂うところに、十五メートル以上もある、見事な檜が高く真っ直ぐに聳えるさまは実に荘厳。
木々は極めて接近して生えているので、辺りは薄暗く涼しい木陰となり、ビロードの絨毯を敷いたような地面にちらほらと陽の光が射し込み、聳え立つ杉の木の黒々とした幹の上に、やわらかな、明るい陰を投げていた。
これらの森の木立の間を通して、古い、そして古いが故に荘厳な寺が垣間見えた。
石畳の歩道が寺まで続いており、その両側には、石灯籠が並んでいた。
多分何百年も前のもので、それを寄進した諸侯の名前と紋と、寄進の年月日が刻み込まれていた。
ここに大昔の貴族たちが詣でたのである。
この境内には、大名より下の位の者は入ることは許されなかった。
それは将軍ご自身が、いつもお参りに来られるところであり、古い巨木の暗い陰に、王侯のように立派に埋葬されているところだからである。


「!」
私は夢を見ているのだろうか?
うろたえた私の眼の前を通り過ぎて行ったのは何だろう?
静々と影のような行列は、灯籠の間の広い路を進む。
陽の光がさし込み、強い光線が寺の紋と、進んでくる行列の煌めく槍先に当たってきらきら光った。
ぎらぎらした眼、堅く結んだ唇、浅黒い、ひげのない顔が中央の駕籠を取り巻いており、御簾がおりていて中の高貴なお方を隠していた。合図があり、行列が止まると、ノリモノの担ぎ手は止まり、肩から静かに棒をおろし、土下座した。
一人の背の高い、日焼けした武士が、近くに立っていた集団の中から出て来て、剣を鳴らし、勇ましい歩調でノリモノに近づいた。
彼の目は鋭く、髪は後ろに梳かし、後ろで一つに結んでいた。
着衣は高価な錦織の絹であったが、上に光った鋼鉄の胴鎧をつけていた。
サムライは御駕籠のそばに、うやうやしくひざまずいて、お辞儀をし、静かに御簾を上げた。
すると、立派なお姿が立ち上がり、出て来られた。
その黄色がかった顔色の面長なお顔、かすかに下がった眼、とがった口、わずかに曲がった鼻、細い眉毛。
わたしはその人物が徳川最後の将軍、慶喜サマだということがすぐ分かった。
将軍は目映い出で立ちで、豪華に、衣擦れの音を立てて、進み出られた。
長く垂れた袖を手早く持ち上げ、シャクビョーシ<位階を示す板片>を握り、おだやかな眼差しを、まわりでお辞儀をしている人々の上に投げかけ、お供を従えて歩み去られた。
殿様の前後を堂々たる足取りで進む勇ましい家来たちとは正反対に、将軍の歩みは、ゆっくりと静かであった。
私の窓の向かい側を、眼を上に向けて高い木のてっぺんの方を見上げ、静かに瞑想のうちに歩かれる。
金色の太陽は、木々の間から上向きのお顔に光を落とし、このおだやかな貴人の長い、引きずる礼服はきらきらと光った。
供の者たちは無言で、頭を垂れ、厳粛な顔をして歩く。
一方将軍の刀持ちは美しく可愛い若者で、周囲の綺麗な眺めを見て微笑を浮かべている。
行列は寺に着く。
寺の境内には、この方の先祖方の遺骨が埋葬されているのだ。
白衣をまとい頭を丸めた僧たちが出て来て行列を迎え、将軍がお立ちのところで、一人一人お辞儀をする。
間もなく、震えるような笛の音、ひちきりの鋭い苦吟の音、オルガンのような笙の柔らかな楽の音につれて、将軍はゆっくりと立ち上がった。
震える手で懐から真っ白い紙を取り出し、その紙の中から何かの粉を取り出して、ゆっくりと前に進み、装飾が施された祭壇の前でくすぶっている香炉のところまで行く。
ここで深々とお辞儀、いや、うやうやしくひざまずき、敬虔な面持ちで、炭火の上にその粉をまく。
煙が立ち、上の金色の蓮華の方にのぼって行く。
かすかな香りが立ちこめ、大木で隠されている私の方にまで漂って来る。
慶喜様は、偉大なる死者の前に身を伏し、低いむせび泣くような音楽はお声を消し去る。
荘厳な静けさが、すべてのものをつつみ、虫さえも鳴きやむ。
霧は私と遠方の集団との間にゆっくりとおりて来るらしく、彼らは益々ぼやけ、ついに鮮やかな色彩のままで私の視野から消え去る――


――部屋の中の動きにはっとして、私は白昼夢からさめた。
眼をこすり、急いで寺の方を見る。
そこにはいつものように、誰もおらず、あたりは静まり返っている。
僧も貴人もおらず、ただ二人の普段着を着た男が、木立の中を歩いて行く。
そして「ここはなんと古いところだろう」と云いながら通り過ぎる。
魔法は解け、私は過去をのぞき込んでいたことに気がつく。