Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第92回解説

【クララの明治日記 超訳版解説第92回】
「今週分はクララ的には忙しかったんだろうけど、平穏な一週間だったねー。
謎の“D氏”(笑)との結婚の噂は兎も角」
「わざわざ自分で“D氏”と書いておいて、直後にディクソン氏の名前を出していては台無しですわね。
さて、そちらの話は兎も角、今回はクララの日記には最近結構出て来る田中不二麿氏について解説しますわよ」
「田中不二麿氏って……う〜ん、高校の歴史教科書に内閣制度が始まった当初の大臣として辛うじて出て来るくらいだっけ?」
「貴女の国の教育の基礎を作ったお一人でしょう! 全く嘆かわしいですわ。
では、今回はわたくしがwikiに沿って簡単に解説しますわよ。
田中不二麿氏は尾張藩士の家系に生まれ、尾張藩の藩校である明倫堂を優秀な成績で卒業。
徳川家親藩の人間であるにもかかわらず、尊皇攘夷建白書を家老ほか藩内要職者に提出し、上京もして、各地の尊皇攘夷論者と頻繁に接触していたそうです。
それで、青松葉事件以後、実権を握る徳川慶勝の右腕となって藩論の統一に尽力して」
「お〜っと、ちょっと待った! ここで一つだけ解説。
“青松葉事件”というのは、大政奉還の後で起こった尾張藩の壮絶な内ゲバの事ね。
簡単に云うと幕府派と朝廷派の争いで、朝廷派が幕府派側を有無を云わせず――って、本当に弁明の機会を与えないまま、斬首14名、処罰20名なんて派手な粛正をしたの。
ただ、この事件の“真相”は未だに不明で、地元新聞でも定期的に話題になったり」
「なんでそんな話だけウキウキ語るんですの、貴女は!?」
「ま、尾張藩はそこまでの犠牲を払って、いち早く朝廷側に付いたのに、後に明治政府で出世したのはただ一人、この田中不二麿氏だけというオチなんだけどねー」
「……解説、続けますわよ。
維新後、明治政府に出仕した田中氏は、当初から教育行政一般に関わります。
歴史教科書にも取り上げられる1879年、つまり丁度このクララの日記とシンクロしている年に発布された“教育令”は、文部大輔だった田中氏の意向を色濃く汲んだ自由主義的なもので、私立学校が開設認可制で済むようになったのはこの教育令からです。
他にも音楽取調掛を設けて音楽教育の近代化を図り、体操伝習所を設置し近代体育教育を導入し、女子校や幼稚園の開設にも関与するなど、日本教育の事実上の基礎を作ったのが、この方ですわ」
「あー、そうだ、思いだした! 
わたしの(未来の)旦那様がアメリカで支援していた伊沢修二氏を、そもそも欧米の音楽事情調査のために送り出したのもこの方だったっけ」
「そういうことは早く思い出しなさい!」
「そうそう、思いだした思いだしてきた。
でも、結局リベラルすぎたのが駄目だったのか、確かこの方、この後、文部行政から外されちゃうんだよね。
その後は確か司法卿になって、大臣として入閣したのも司法大臣だった筈。
で、田中氏の後を結果的に引き継ぐことになったのは」
「……森有礼氏ですわね、駐英公使から戻ってきて、少し後からからでしたかしら?」
「なんというかね凄いよねー。現在の日本の教育行政の基礎が、クララの親しい人たちで出来ていった、なんて」
「特に音楽に関してはクララが相当入れ知恵しているようですしね。
本格的にクララの影響を分析してみると、面白いかも知れませんわ」
「で、今度は奥さんの話なんだけど、田中氏の経歴を見ると、ひょっとして幕末、京都で尊皇攘夷運動している時に、芸者をしていた奥様と知り合ったのかな? 
で、一度はそのせいで藩の要職から下ろされた、と」
「芸者を妻にしたという理由で要職から下ろされたというのは、少しおかしな話ではありますけれどね。
恐らく尾張藩内で一時幕府派が盛り返した頃に、丁度結婚したのかもしれませんわ」
「で、偶々ググっていたら見つけたんだけど、田中夫人である須磨さんの写真はこちらのページの少し下付近で見られます。
解説によると、これがクララが日記中で書いている『閣下は二度アメリカに行かれたそうで一度は岩倉大使と、次は開国百周年祭の時だそうである。』の前段の話の時みたい。
どういう経緯で夫人まで岩倉使節団に加わったのか、以前何かで読んだことがある気がするんだけど、ちょっとごめん、忘れちゃった。
でもこの二人の仲の良さは本当に有名だったようで、後に外交官として世界各地に赴任するようになった後は必ず奥様同伴で、大使館を訪れた日本人を奥様の手料理でもてなしたらしいよ」
「この奥様にして、この旦那様あり、ということがよく分かる心温まるエピソードでしたわね。
ただ結局こういう“良識派”の方が司法や文部などしか担当できず、直接国内政治や外交に携わる大臣には就任できなかったのが、明治政府がおかしな方向に行った原因の一つでしょうね。
本当に残念なことではありますけど」


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