Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

クララの明治日記 超訳版第94回−4

1879年10月4日 土曜
母と私は今朝、十時の汽車で横浜に行きミス・マクニールと乗りあわせた。
汽車にはたくさんドイツ人やイギリス人が乗っていて、声高に喋ったり、煙草を吸ったりするので不愉快だった。
横浜ではいろいろな物を探しにあちこちに行った。
買物は帽子で、ガーネット色のビロードで縁取りをしてもらうことになっている。
手袋はキッドで茶色とピンクの灰色のとを買ったが、横浜ではとても安い。
買物の後で、ウィリイとグランド・ホテルで待ち合わせ、昼食をとった。
それから明日出帆する予定のオーシャニック号を見に行くことにした。
ド・ボワンヴィル夫人はまだ到着していなかったが、ご主人の方はあちらこちら走りまわっておられた。
グランド・ホテル専用のボートがちょうど出るところだったので、ホテルの事務員と紳士一人といっしょに乗った。
風が強くて、波がボートの船縁を越えるほどだった。
澄んだ十月の空気は身が引き締まるようで、とても気持ちがいい。。
途中、フランス船のボルガ号の側や、塗り直し中のロード・オブ・アイル号の舳先の下を通った。
米国船リッチモンド号とベガ号がすこし沖に並んでいた。
私はベガ号に行ってみたいと思ったが、船頭が、一マイル沖に停泊中のオーシャニック号より先は波が荒すぎて行けないという。
オーシャニック号には、荷をいっぱいに積んだ他の船と一緒に着いたが「ご婦人ですよ」と係が怒鳴ると一番先にはしごを上らせてくれた。


甲板に集まった高級船員の中に、以前私がこの船に乗って日本にやってきた当時の陽気なジェニングス船長、ウェールズ人のエバンス事務長、賑やかなブレイディ船医、少なくともあのふとっちょの手荷物係の顔が見られるのではないかという気がした。
無論、物珍しそうに見かえしたのは冷たい見知らぬ顔で、ちょっと命令を発するのをやめて私たちを通してくれた。
階段もサロンも、半分忘れかけた思い出を洪水のように蘇らせた。
執事の船室のあのむかむかするような臭いすら懐かしかった。
ジェニングス船長はその陽気な人柄と、無骨なやさしさとを、永遠に私の胸に刻みつけたが、他の船長もみな彼のように若き乙女のヒーローでありますように。
サロンでは本棚<もちろん錠がかかっている>、古い皸だらけのピアノをまた眺めた。
そのほか、船旅の退屈さのあまり『アイバンホー』を読んだところ、ボンステル氏が私のアルバムに「花の十六歳」<十五歳だったけれど>と書いてくれたところや、ジョーンズ氏が初めて船酔いを起こしかけ、大慌てで飛び出した食堂を見た。
食卓の椅子はとても狭く背もたれが高く、坐ると肘がつき合うようで、私はいつも端っこに坐れるのを喜んだものだ。
ある時ジェニングス船長がジャガイモの皮を取りながらこう云った。
「ご婦人がじゃがいも畑を歩きたがらないのは何故か?」
その時の船長の悪戯そうな顔を思い出す。
私が降参すると、眼鏡越しにわざと真面目な顔をしてこう云うのだ。
「じゃがいもには『め』があるからね」
ひどい!
思い出しているときりがないけれど、私たちの泊まっていた特等席に行ってみるとド・ボワンヴィル夫人のトランクが置いてある。
夫人はここを使うのだろう。
確かにヴィーダー氏一家もここに泊まったし、この船で一番良い室だ。
甲板に出ると、ブリッジの下では清国人の船員たちが山のようなご飯を食べている<この人たちはいつも食事中のようだ>。
手すりにもたれて緑の丘の方を見、それから広い果てしない海をながめていると、私も旅に出たくなった。


船腹では横付けしたサンパンが荷揚げをしている。
清国人のペチャペチャして喋る声、ヨーロッパ人や日本人の怒鳴る声の中をどんどん荷物が船に運びあげられる。
それから三等客船がボートに乗っていっぱい来た。
ある老人は、がっしりした息子二人と、たくさんの骨董品と絹地類を持ってきたが、きっと清国の家族へのおみやげなのだろう。
梯子に近づけないので、船を別の小さい船のそばにつけ、息子たちは大胆に船から船へと飛んでオーシャン号に乗り込んだ。
荷物の監視に残った老人は、枯れ木のような手を振り「チャン! ウィン!」と息子の名を呼ぶと、梯子を上っていた息子たちは振り向いて、手を振って励ました。
老人は仕事をもらおうと群がってきた子供たちに目もくれず、宝物のそばにすわりこんだ。
息子たちが戻ってきて、かわいそうな老父を助けてあげるといいのだが、その次に来たのは船慣れしていない外国人だった。
船の近くに行けないので、船頭たちがもう一つの船の近くにつけたら「陸氏」は怒って立ち上がり、オールを掴むと、後ずさりしてその場を抜け出した。
ところがあまり遠く離れすぎて、乗船できる範囲にある他の舟にも届かなくなってしまった。
それで彼はがっくりした顔で突然すわりこんだ。
その間に別の外国人が彼のいた場所にこぎ入れ、舟から舟へと渡り、もう梯子半分のところまで行ってしまった。
いわば後塵を拝したこの「陸氏」は、残念そうに競争相手を見上げ、後についた。
また別のボートが近づいてきたところで、ホテルのボートが波止場に帰るが「もうよろしいか?」という。
そこでオーシャン号に最後の一瞥をくれると、下甲板に行き、舷側を下ってボートに戻った。
私はシャッターを開けておきたかったのだが、波が入るというので、それでは、と閉めた。
ウィリイは残って、私たちは六時半の二等の汽車で帰った。
一番空いていそうな車輛に乗ったが、ひどく下品な人たちが煙草を吸ったり、声高に喋ったり、ピーナッツをボリボリ食べたりするので、いたたまれずに隣の車輛に移った。
そこでとても感じの良い日本人一家と一緒になった。
私はこの人たちと親しくなり、住所を交換した。
西久保の人でお父様は内務省の役人だった。