Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第99回−4

1879年11月29日 土曜
今日は八時の汽車で横浜へ行った。
母は婦人会に出席するために、私はヘップバン夫人にお会いするためだった。
ウィリイが出迎えてくれ、無事人力車に乗せてくれた。
母は先に二一二番地に行き、私はヘップバン夫人のお宅に向かい、途中で赤ちゃんを連れたパイパー夫人に会ったので、ご一緒した。
パイパー夫人は赤ちゃんを預けて婦人会に行かれた。
私は後からヘップバン夫人と二輪馬車で行った。
賛美歌の後、ヘップバン夫人がお祈りをし、それから日本での生活の話をなさった。
二十年前の十月十八日。
ヘップバン先生と金沢に上陸した時には、友達もいなければ言葉も分からず、助けになる本も何もなかった。
日本での最初の日曜日の礼拝には、先生が説教をなさり、夫人がたった一人の聴衆だった。
翌週、船員が一人来て、その次の週にはもう一人、そしてブラウン先生一家が参加した。
それからヘップバン夫人が日曜学校を始め、七年後には先生の辞書も完成したので、日本上陸の記念日に夫妻は横浜港を出航した。
「そして今、二十年前は不可能だと思ったこのような会が可能になりました」
夫人は目を潤ませて云われた。
「皆様は若くていらっしゃいます。主人も私ももう人生の後半に入り、間もなく――」
ここで夫人は声を詰まらせた。
「私たちの務めも終わるでしょう。ですが私たちの代わりに、こんなに多くの新しい人たちが来て下さったことを嬉しく思います。
天なる父が、私たちをお導き下さったように皆様をお導き下さいますようお祈りします」
夫人が話し終えると、みんなしーんとし、若い人の中には泣いている人もいた。
私は午後の会合には残らず、ヘップバン夫人のお宅に食事に戻った。
食事の後、いつものようにオルガンを弾いていると、ヘップバン先生が書斎から出てこられて仰った。
「歌を歌おうかね。リーナがいなくなってから何ヶ月も誰もオルガンに触っていないが、オルガンの音はいい」
パイパー夫人が帰り、ヘップバン夫人が近所の病人の見舞いにいらっしゃった後、先生と私は気持ちの良い暖炉のそばに座ってお話をした。
先日の藤島氏のことをお話しすると、先生はとても興味を持たれてご自分の意見を述べられた。
「祖先を拝むことについてウォデル氏の云ったことは正しいが、しかしまず日本語の“拝む”がいったい何を意味しているのか確かめる必要があるね」
「本当にそうです。“オガム”とか“タテマツル”でしたね」
「そう、それも使われるのが一番多いのは“レイハイスル”だね。
私はいつも人間を拝むことは絶対に間違っていると云っているのだよ」
「でも日本人は、丁度私たちが友人の墓にお花を捧げるようなつもりで、先祖の霊を拝むのではありませんか?」
「いやまったく違うのだよ。日本人は死んだ先祖の霊を恐れて、害を受けないように供物を捧げるのだよ。
悪人や泥棒までがその霊を慰撫するために拝まれるのだからね」
やがてウィリィが迎えに来てくれて、母が診て頂いているシモンズ先生のところに行った。
シモンズ先生は息子さんが建ててくれた新しい素敵な家に住んでおられ、ご親切にウィリイにも一部屋作って下さった。