Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第100回−3

1879年12月5日 金曜
今日はいつものように裁縫のクラスがあり、たくさんの人が来た。
食事の後は、みんなで楽しくお喋り。
富田夫人、およしさん、お逸と一緒に、裁縫をしながら話をした。
およしさんが面白い出来事を話してくれた。
昨日一ヤード近くもの長い手紙をほとんど書き終えたところで、ご主人がおかしなことを云ったので、ひどい間違いをしてしまい、全部書き直さなくてはならない羽目になったそうだ。
富田夫人は今は洋裁も編み物も喜んで習っているけれど、夏の間は嫌だったという。
「どうして? 病気か何かだったんですか?」
「いいえ、コレラが怖かったから」
コレラと編み物と何の関係がありますの?」
私は首を傾げながら尋ねる。
「もしかしたらコレラに罹って死ぬかもしれないと思ったから。そうしたら編みかけの靴下が転がっているのを友達が見て、胸を締め付けられるだろうと思って、それで涼しくなるまで待とうと思ったのよ」
勿論これは大笑いになった。
お逸は静寛院宮――当時は和宮といった――が将軍家の姫君を訪ねた時のエピソードを教えてくれた。
『ツラヲアゲテミヨ』
若い皇室の姫様がそう仰ったので、同じく若い将軍家の姫君は吃驚されたそうだ。
『ツラ』というのは自分の顔をさす時のみ使われ、人の顔は「オカオ」というのだ。
『アゲテミヨ』というのも古い云い方で、今は「ゴラン・ナ・サイ」と云う。
このことから、いろいろな言葉遣いの話になった。
例えば宮中言葉ではこんな感じになるそうだ。
「タケノ宮、今日ハ、アンバイワルク イラッシャイマス」というのが『タケノ宮、ヤマイ、アツシ』となる。
田舎では「ゴキゲンヨウ」というのは使われず、朝でも夜でも「オハヨウ」で、京都では寝る時「オヤスミ」というそうだ。
話はとても面白かったが、ひどい風邪で咳き込んでしまう。
すると、およしさんが私の方を向いてこう云った。
「クララさん、ヒドイオカゼヲ、メシナサッタネ」
「ハイ、ヒドイカゼ、ヒキマシタ。
けれども何故風邪を『召シ』ましたというのです? 普通『ヒク』じゃありませんか?」
「そう、それが普通だけど、召すの方が丁寧なのよ」
お逸が解説してくれる。
「メシタのカゼは大名で、平民は『ひく』ね」
富田夫人の言葉にみんな大笑い。
更にすぐにお逸がこう云った。
「でも英語の『風邪を捕まえる』に較べたら、風邪をひくも召すもひどくないでしょ?
風邪は捕まえるんじゃなくて、捕まるんですものね。とてもおかしな云い方だわ」
「でも、日本語のメシほどではないわ。いろんな意味があるでしょ?
米とか食物の意味のメシは丁寧でなくて、ゴハンとかゴゼンの方が良い言葉だというのに、食べ物のとても丁寧な云い方は『メシアガッテ』で『カゼヲメシテ』もとても丁寧なのね。
日本語は外国人にはとても難しいわ」
「確かに難しいわ。だから日本語をきちんと話せる外国人はほとんどいないわ。
クララとお兄様は、とても上手に話せるのだけれど。
それにしても、英語の綴りは覚えられないわ。
たとえば知るのノーと、いいえのノーとの差なんか全然覚えられない。
勿論、書いてあるのを見れば意味は分かるけれど、話している時は訳が分からなくなるわ」
「クララさんの言葉はいつも素晴らしいと思っていますわ。
初めてご一家と知り合いになった頃は、母はいつも横浜弁でお話ししていたのですけれど、お願いだからもっといい、普通に使う丁寧な云い方をして、と云いましたわ。
どうして貴女がそんなに上手に話せるようになったんでしょうね。
日本の心を持っていらっしゃるようだし」
そう云ってくれたのは、およしさん。
「いえ、ただ海綿のように吸収しただけなのです」と私は軽く云った。
「横浜弁はどうしても喋れませんわ」と富田夫人。
「私も。お母様はどうして覚えられたのでしょう」とはお逸の弁。
「宣教師たちが話しているのを聞いてです」
およしさんが云った。
「ミセス・ハリスやミセス・ソーパーは目茶苦茶な日本語を使うので、母は外国人は全部あんな話し方をすると思ったのです。
でも、クララさんは気づかれたと思いましたけれど、母は今は貴女には普通の日本人と同じように話しますでしょう?」


それから他の話に移った。
「“クダン”っていう半分人間で体は牛の不思議な生き物が生まれたことがあるの」
お逸は真剣な顔で云った。
「その生き物は親は誰だか分からないけれど、生まれ落ちるとすぐ完全にきちんとした言葉を喋りだしたのよ。
クララは笑うでしょうけど、これは実際にあったことなんだから!」
勿論私は笑って云った。
「相変わらず迷信深いのね、お逸は」
「本当なんだってば! そうだ、ちょっと待ってなさいよ」
部屋を出て行ってすぐ帰ってきたお逸は辞書を持っていた。
「ほら、ここ、見なさいよ、ここ! この“件”っていう漢字。
これって、人と牛を組み合わせた字でしょう?
つまり、この化け物の存在は疑いの余地のないものと考えられているわけ!」
しかも何かが議論の余地なく正しい時は『よって件の如し』と云うそうだ。
「正直云って今の話は私には信じがたいけれど、昔ギリシャ人もケンタウロスという体が馬の人間がいると信じていたみたい」
およしさんは、何処か田舎の海岸で人魚を見た人のことを知っていた。
この男の云うところによると、人魚は魚の尻尾をしていて、顔は十八ぐらいの美しい乙女だったそうだ。
私は西洋でもそんな生き物がいるとかつては信じられ、今でもスコットランドやイギリスの無智な人たちは、半分魚の霊魂のない女の人魚がいると信じていると云った。


それから仏教書と聖書の話になり、較べると仏教書の方が不利になった。
およしさんは熱心なクリスチャンで、麻布のソーパー氏の教会に毎週通っている。
ハリス夫人の教えている日曜学校の手伝いもしていて、街の子供達を集めているが、行儀が悪いので残念だという。
「男の子たちは、英語のパンフレッを一定の数だけ集めると素敵な本が貰えるので、それを貰うと逃げてしまいますの。女の子の方は少しは覚えるのですけど」
およしさんはソーパー氏の説教は分かるが、ハリス氏の方は、日本語で喋っても分からないという。
必要もない私がこの奇妙な言葉を喋れるのに、一日に四、五時間も勉強している宣教師たちが覚えられないのは、とても奇妙に思える。
私は子供が覚えるように自然と頭に入ったのに、この人たちはひどい苦労をして、時には頭がおかしくなることもある。
この才能に感謝し、一層磨きをかけ、あらゆる機会にキリストの栄光のために使わなくては。
オルガンのところでお逸のすぐ上の姉である疋田孝子さんと、楽しいお喋りをした。
日本とヨーロッパの詩の話をした。
疋田夫人自身詩がとても上手で、西洋の詩について知りたがっておられる。
古くからある優れた賛美歌をいくつか訳して説明してあげたが、とても興味を示された。
本当に素敵な人だ。
他の人が帰った後もお逸は残って、薄暗闇の中で六時までお喋りした。
このところ忙しくて話す機会もなかったが、お逸はやっぱり素晴らしい友達だ!
いろいろな話をしたが、お逸は賢い人になりたいそうだ。
「およしさんはとても頭がよいけれど、それをひけらかさないから素敵よね。
それに較べて三浦夫人は駄目だわ。
ほとんどものを知らないのに知ったかぶりするので大嫌い!
私が何か知的な話をし出すと、夫人はすぐにこう云うの。
『本当にそうでございますね』
それでその話はおしまい。急いで話を変えてしまうわけ」
それから、今日はとても良い諺を習った。
何かがなくなったら「七度探して人を疑え」というのだ。