Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第105回−2

1879年12月31日 水曜  
十二時十分。
『門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし』 一休禅師
古い年が死に、めでたい新年が誕生するのを見守るために、キリスト教の信奉者たちが、幾人か十時に集まった。
ディクソン氏が会のリーダーをし、めいめいお祈りをし、賛美歌を歌ったり、この折に相応しい二言、三言いったりした。
そして各自が黙祷をしばらくすると新年が来た。
ああ、天なる父よ! 
如何に嘆き悲しもうと取り消すことのできない去年私の犯した沢山の罪や欠点。
そのことを思うと、私は胸が痛くなる。
そして私の足下にある恐ろしい未知の将来を見ようとすると私の魂は恐れおののく。
私の手は掛け金にかかっているのに、思い切ってあけて見ることができない。
良き羊飼いである主よ。
あなたの子羊をお助け下さい。
私を導きお守り下さい。


【クララの明治日記 超訳版解説第105回】
『門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし』
「その年の最後の日記を、一休禅師のこの有名な歌で締めるなんて、クララもいよいよ日本人化してきたよねー」
「そうとも云えませんわよ。実際最後の懺悔は敬虔なクリスチャンならではのものですしね」
「やっぱアレかな? 宗教というものは突き詰めて考えていくと、同じようなところに辿り着くってこと?」
「そうなのかも知れませんけれど、少なくとも“クララの信仰”は少し違う気がしますわ。
“クララの信仰”というより、母親である“アンナさんの信仰”なのだと思いますけど」
「アンナ先生の?」
「ああ、貴女がた勝家の人たちは、正確にはクリスチャンというより“アンナさんの信仰”の信徒ですものね。
違和感を覚えなくても当然かもしれませんわ」
「そういえば、父様は随分アンナ先生一家に肩入れして、屋敷の隣に教会まで建てさせてる上に、こんな証言も残ってるんだっけ。
“(信じるとしたら)ホイットニー夫人の宗教以外のものはいやだ”って」
「クララの日記の日本語版の序説に書いてあるけれど、アンナさん、元々は別に熱心なクリスチャンでもなんでもなかったらしいのよ。
それが勝氏のご子息である小鹿さんの学友としてアメリカに派遣された、後の日銀第三代総裁である富田鉄之助さんに、つまりクララの日記に頻繁に出て来る富田夫人の旦那様ね、請われて聖書を改めて勉強し始めてから、熱心なキリスト教の伝道師になった、という不思議な経緯があるのよ」
「縁は異なもの 味なもの……って、正確な用法とは違うけど、こんな言葉がピッタリだよね。
もし富田氏が小鹿兄様の学友に選ばれず、別の人を父様がつけていたら、アンナ先生が伝道に目覚めることもなく、きっとホイットニー家は日本に来なかった。
たとえ来日していても我が勝家との繋がりもなく、資金難で商法講習所も出来ることはなく、現在の一橋大学もひょっとしたら今の形では存在しなかったかも知れないんだよね。
本当に人間の縁って面白いよね」
「つまり、アンナさんの宗教というのは“キリスト教の特定の宗派”の教えと云うより、聖書に基づく“原始キリスト教”をベースに、富田氏や来日してからの多くの日本人との接触によって形作られたもの、ということですわ。
だから勝氏も特に贔屓にしたのかも知れませんわね。
もしキリスト教の中でも特定の宗派に偏った教えをする方だったら、ここまで肩入れしなかったと思いますわよ」
「だねー、父様の性格的にもそんな感じだよね。
それにしても、来日当初は日本人の信仰心に対して結構ひどい云い方をしていたクララが、遂に一休さんのこの歌を引用するようになるなんてある意味、感慨深いよねー」
「それだけこの歌に関しては、洋の東西、宗教心を問わず、至言である、ということですわ」
「という綺麗なオチがついたところで、今年最後の“クララの明治日記 超訳版”でした。
それでは、皆さん、よいお年を」
(終)


と云った所で、今週も最後までお付き合い下さった方、有り難うございましたm(_)m。
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