Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第107回−3

1880年1月9日 金曜
今日はクーパー氏、ディクソソ氏、相馬永胤氏、松平氏、小鹿さん、お逸が集まり、とても楽しかった。
クーパー氏と相馬氏は法律家なので話がよく合った。
松平氏は馬鹿話をしたりおかしな歌をうたって皆を面白がらせた。
彼は日本の「ポロ」用のバットも持ってきた。
これは若い貴族が馬に乗ってする遊びで、彼は今日の午後、友達としてきたという。
富田夫人は奇妙な話をした。
老人が六十一歳になると第二の幼年期に入ったとされ、家族全員からおもちゃを贈られるという。
杉田玄端先生はその年になったので、富田夫人は、型は子供用だが、大きさは彼に合うニットのシャツを贈った。
先日お逸に正月の飾り物の意味について聞いたのだけど、お逸は父上に聞かなくてはならなかった。
それによると門に横にはってある藁の飾りは注連縄で、豊穣を願い、紙は清浄を意味し、一番大切である。
第三代将軍の時に始まったもっと深い意味もあるが、それは忘れられてしまったという。
考えてみると宗教的意味があるのだから、ソーパー氏の教会の前にするのは、お寺や神社に十字架を飾るのと同じことで、不適当だと思う。
外国人が聖なる白い紙を飾っていることは日本の新聞にも出ていた。
飾り物にも意味があり、台の一部分に使われている葉先がとがっていて、柄の赤いゆずり葉は、新しい葉が出るまで古い葉が落ちないことは周知の事実だ。
つまり、跡継ぎができるまでは一家の者がこの世を去らないということである。
葉裏の白いうらじろはただの飾りだけど、海老はその背の曲がった姿のように、人が長寿であることを願うものである。
橙はほかの果物のように木から落ちることがなく、枝についたままで緑色から黄色、そしてまた緑色に戻る。
それで橙は清く正しい人が天寿を全うし、安らかに死ぬことになぞらえられる。
門の両側にたてられる松は、クリスマスの飾りの緑の葉と同じく意味はなく、ただ季節にふさわしい飾りである。
竹も特に意味はないが、常緑なので好まれるという。
こういうことがわかってよかった。
お逸はこのような事に関した本をくれると約束した。


だが話を元に戻そう。
集まった人たちの取り合わせがよかったので大変楽しかった。
食事のあと、みんな思い思いに顕微鏡や、オルガンや、母のまわりに集まった。
クーパー氏は、私のところへきて、例の大げさでセンチタンタルな言い方でこう云った。
「ああ、あなたもディクソンさんもいない東京なんて考えられません!」
この他、いろいろなことを云われたが全部は書けない。
「そうおっしゃってくださるのはとてもありがたいですけれど、ほかの友達を見つけてください」
私は最後にそういった。
だけど彼と別れたらとてもつらいのは確かだ。
彼をよく知るようになってからは、彼がとても好きになった。
他の人たちか帰った後、ウィリイと松平氏はオレンジでポロをやりだした。
私はオルガンのそばに坐って静かな美しい曲を弾きだした。
すると隣室の小さなオルガンが一音ずつ私のあとをついてくる。
音の主はディクソン氏で、曲が終わると「何か知っでいる曲を弾いてください」という。
しばらくこんな風にして楽しんだが、ディクソン氏はこの試みにすっかり夢中になった。
私の方が彼についてゆけなくなると、こんなことを云われた。
「あの最後の短調の音が隣の部屋から聞こえると、何だか気味の悪いような美しさですよ」
松平氏はついに帰ったが、帰り際に月曜に彼の家に招待された。
ウィリイとディクソン氏は大きいほうのオルガンの調子を見、私は小さい方のオルガンでいろいろな曲を弾いた。
やがてディクソン氏は手紙を読み出したが、私が「セント・ヘレナ」を弾くと、手紙を手に持ったまま入ってきて、こう云われた。
「あれを弾くとは、あなたの趣味は本当に洗練されていますね。
それこそ最高の趣味を持っていると分かりますよ」
もちろん、私は他の誰より彼から褒められて嬉しかった。
決心したにもかかわらず、自分でも認めたくないほど彼を崇拝し、心から尊敬しているあの方の口から出たこの短い言葉に較べると、マーフィー氏の大袈裟なお世辞は本当につまらなくみえる。


【クララの明治日記 超訳版解説第107回】
「なんというか、1月9日分の日記、クララは“乙女モード全開”ってカンジだよねー。ディクソン氏に対して」
「しかし、よく分かりませんわ。
去年の11月22日付けの日記23日日付の日記。で、一度完全に破綻してますわよね、クララとディクソン氏。
>>苦しかった。
>>しかし今はすっかり切り取って捨ててしまった。
>>時折、はるかな思い出として私の胸を刺すことはあっても、もう私を悩ますことはないだろう。
しかも母親同伴で、この展開ですから、個人レベルではなく、家族ぐるみでですわよ?
実際にその後の日記でもしばらくディクソン氏とは疎遠でしたし」
「あ、でも、そういう意味なら、1月9日の日記の最後のところでクララ最後に前振りしているじゃない“決心したにもかかわらず”って。
これって“そういう意味”でしょ?
それからその前日の1月8日の日記で、ディクソン氏と結婚したという噂をバラ撒かれて激怒しているのもその流れからだと思うけど」
「だとは思うのですけれど……そうなると、今度はディクソン氏の行動の方が意味不明ですわ。
ディクソン氏、このしばらく前の日記から“クララ達の帰国するのと同じ船に乗る”と云っていますけれど、これはリップサービスではなく、事実同じ船に乗り込み、日本を後にしますのよ」
「ますます分かんないよね。
なんかお互いの認識が“根元的なところ”でかみ合ってない気がするかも?」
「第三者の視点で、男女の機微を読み取るのは難しいことですけれど、特にこのホイットニー家は宗教絡みもあって分かりづらそうですわね。
実際、クララが結婚したのは、弟のように可愛がっていた貴女の弟である梅太郎君だったわけですし。
ちなみにディクソン氏の弟であるジェイミー氏は更にこの後、1892年まで帝大で英語を教え、日本の英文法教育の基礎を築くことになるのだけど、兄のウィリアム・ディクソン氏はクララと同じ便で帰国し、この後、日本に帰ってきませんわ。
もっともイギリスにただ戻ったのではなく、この後はオーストラリア・ニュージーランドで牧師として活動したそうですけど」
「うーん、クララの日記に書かれていない“離日後”の展開が気になるよねー」
「あら、それならありますのよ、本当は」
「え? そうなの?」
「原本は存在するのですけれど、日本関係分ではないので邦訳されていませんの。
もっとも一部研究者は原文を公開して貰っていて、その一部は『津田梅子とアナ・C・ハーツホン』という本の中で翻訳されていますわ」
「全然タイトル、クララと関係ないじゃない」
「津田梅子女史の研究書ですからね。
後に津田梅子女史がクララと親友になった経緯の一部ですわ。
アナ・C・ハーツホン女史に関しては、また機会を改めて紹介いたしますし」
「で、そこにはなんて書いてあるの?」
「その辺りの詳細はこのクララの明治日記超訳版第一部終了後で紹介しますけれど、簡単に説明すると、イギリスで四ヶ月ほど優雅に滞在したそうですわ。
貴女のお父様に頂いた餞別もありましたし、当時イギリスには森有礼氏も富田鉄之助氏、徳川家達氏など旧知の人々がみえましたから、生活に余裕があったのでしょうね」
「読みたい、読みたい!」
「残念ながらその辺りの記述は、この研究書では箇条書き程度で記されているだけなのですわ。
いつか全文訳出して下さる翻訳者の方が現れるのを期待したいところですけれども。
さて、そんなところで、クララの恋愛絡みの話は終わるとして、今週サラリと書いてあるけれど、注目は冒頭の芸者遊びをしている部分ですわ。
“最後の方で、西郷中将のごひいきの芸者の桃太郎が入ってきて琴をひいた”
この方、新橋芸者の桃太郎さんは、実際この後、西郷継道中将の後妻になられる方ですわ」
「へぇー、この人がそうなんだ。
しかし明治の政治家の奥さんって、本当に元芸者さん多いよね。
木戸孝充氏、伊藤博文氏、井上馨氏、陸奥宗光氏、山本権兵衛氏などなど。
父様なら、きっと内心馬鹿にしていただろうけれど――あ、別に芸者という職業を蔑視しているわけじゃなく、急に偉くなった貧乏田舎侍が芸者さんにのぼせ上がって奥さんにしてしまう、という発想にね」
「そうともいえませんわよ。功成り上がり、どんな名家のお嬢さんも選り取り見取りにもかかわらず、本当にその芸者さんに“惚れて”奥方にした、という方がある意味“純粋”だともいえませんこと?」
「なるほどねー、それは確かに云えているかも?
潔癖性のクララとしては絶対に認められない話だろうけど」
「さて、とりあえず今週のところはこの辺で。
次週以降、クララの帰国準備が本格化してきます」
(終)


と云った所で、今週も最後までお付き合い下さった方、有り難うございましたm(_)m。
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なおブログ末尾に「クララの明治日記 超訳版」参考資料(厳選版)の紹介をつけました。
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