Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第60回−3

1878年10月29日 火曜日
今日はとってもおかしなことがあったので、寝る前にどうしても書き付けておかなければならない。
昨日書いたとおり、今日はミス・ゴードン・カミングスとの「逢い引き」の日。
というわけで、不安な気持ちで嫌々ながらも、うちの元気な車夫と立派な車を整えて、ダイアー先生の豪邸に乗りつけたというわけである。
玄関の銅鑼を鳴らすと、いきなりご当人が出て来た。
「あら、忠実なお人」
二階の寝室に案内されると、そこにはいろんなもの――衣装、紙挟み、その他――が散らばっていたし、お弁当が新聞に包んであった。
彼女はそのお弁当を掲げると「お手製なんだぜ。クララの分も作ってあるからお昼は一緒に食べよう」と、誇らしげな笑顔で仰る。
叶わないなあと心の中で嘆息していると、ミス・ゴードン・カミングスが小振りなワイン瓶まで鞄に詰めようとしているのに気付く。
「なんでワインまで持って行かれるんですか? どこのお店でもお茶くらい出してくれますよ」
これは別段お店に限った話じゃない。郊外にピクニックに出かけたときなど「是非お茶でも飲んでいって下さい」とごく普通に誘われるからだ。
だいたいこれから骨董品の買い出しに行くのだから手荷物は軽い方がいい。
物によっては屋敷に届けるようお願いできるだろうけれど、ちょっとした小物なんかは無理だろう。
「あら、私はちょっとお酒が入っていないと、身体がしゃんとしないんだよ」
「……そうですか」
そっか、やっぱりこの方は普段からナチュラルに酔っぱらっていらしたんだ。
私は半ば諦めの気持ちの中、受け入れる。
「でも、それでしたら、コップを用意しないと」
「コップ?」世にも不思議そうに問い返してから「アンタ、私は瓶から呑むんだけど?」
こういう会話をしている時の彼女の独特の抑揚は文字では再現できないので、彼女の云った通りに伝えられないのがもどかしい。
ともあれ、あまりにも当然のように告げてくるので、私は抗弁することを早々に諦めることとなった。


あれやこれやで支度にひどく手間取ってからやっと出発した。
母と私に丁度よい大きさである我が家の人力車が、急に縮小したような気がした。
なにしろミス・ゴードン・カミングスは背が高い。
「二つの物体が同時に一つの空間を占領することはできない」
そんな不可入性の法則により、私は押し潰された状態ながら「ご窮屈ではありませんか」と辛うじて云った。
我ながら涙ぐましい気の遣いよう。この国に三年もいたせいで日本人の性質が染ってしまったのかもしれない。
道で見かけた最初の骨董屋。
私が人力車を引くヤスを止める前に彼女は叫んだ。
「ああ、マッタマッタ! ストップ!」
英語日本語混じりのそれがあまりにも大きい声だったので、車夫と店の人のみならず、そのあたりの人みんなの注目が集まる。
颯爽と人力車から飛び降りた彼女は、軒先に並べられている陶磁器や銅製らしい小物に目を走らせ、ついで薄暗い店の奥を、といっても奥行きは二フィートほどしかないのだけれど、探るように眺めると「よし、次!」と再び席に戻ってくる。
この間、僅か一分足らず。
唖然とするばかりのわたしたちを尻目に「ほらほら、時は金なり。次行こうぜ、次」とミス・ゴードン・カミングスは促した。
次の店でも、次の店でも同じようなことを繰り返し、先に進むとまた勇ましい叫び声でみんな足を止めさせられた。
しかしどこへ行っても彼女は満足せず。
「がらくたばかりじゃない!」
そう吐き捨てるように云われるので、結局新橋の私たちの行きつけの道具屋に行き、そこから芝のいわゆる“泥棒横町”へと行くこととなった。
ここで古い店を片っ端から探し回って古い写真を沢山買った。
彼女が骨董品を探している間、店の人たちが私の相手をしてくれた。
ある老婦人<とても愉快な人だ>は私に次のように云った。
「どうして髪を島田に結わないの?」
またある女性は自分の家の秘密を喋ってくれた。
彼女の息子<顔立ちの良い青年>が妻を娶らないので、やきもきしているというのだ。
青年は自分の頑固さが話題にされることを喜ばない様子で、不快を隠すために袂で顔を覆った。
「今に綺麗なお嫁さんを連れて来られますよ」
私がそう云ってお母さんを慰めると、二人とも満足してくれたらしく、帰りには丁寧に「さよなら」を云い「また遊びに来て下さい」とも云った。
一方、ミス・ゴードン・カミングス――いや、ゴーゴン、つまり頭髪が蛇で、見る人を石に変えたと云われる怪物の三姉妹の一人――は、そんな「俗世間」のことなどまるでお構いなく、一軒一軒渡り歩いた。
帽子を目深に被り、背が高いので前のめりに体を曲げ、骨董品を探すのに目を細くして、のっしのっしと歩いていく。
何か目に留まると、周りの人を驚かすような大きい声を出す。
店の人に話すときは「おかみさん、これいくらです?」というような言葉遣い。
群衆に対しては「皆さん、道を開けてくださるか」と話しかけ。
ヤスには「お前さん、あのブロンズを取って」と命令する。
彼女が前進する時には、私は小さい仔牛のように、ちょこちょことついて行くしかない。
時折、そんな私の方を振り返っては「♪」と奇妙に哀愁の籠もった曲を口笛で吹く。
とてもお上手なのだけど、何故だか聞いているこちらがとてつもなく不安に襲われる。
一度も聴いたことがない曲なのに、本当に何故なんだろう? 


やがて太陽が中天にかかり、昼食を取るということになった。
混雑を避けて、茶屋の今村に行ったのだけれど、ここでも彼女が日本の習慣を心得ていないために次々と滑稽なことをしでかした。
パンとビスケットと卵にお菓子とお茶と柿を食べて――随分高く取られた――から本当の決戦に入った。
というのは、私たちは骨董屋のびっしり並んでいる中通りに行って、端から細かく当たっていったのである。
彼女は莫大なお金を使って、驚くほど沢山の銅の花瓶を買った。
本当に面白かった唯一の店は七宝焼の店で、私たちは奥の部屋まで入って美しい伊万里焼のコレクションを見た。
ゴーゴンは十四ドル分買ったが、休みなく大きな低音で喋っていた。
言葉を切るたびに声の音階が一つずつ上がった。
店の若い主人は、無口ながら愛想の良い人で、おかみさんは陽気だった。
「わたしはアメリカ人が大好きでね」
彼女がそう云ったので、私たちはたちまち仲良しになった。
とにかく、この長い長い苦悩の旅もやがて終わった。
太陽が傾きかけたので、彼女は更に向こう見ずの買い物をしてから、車夫の顔を家路に向けるように、と指令したのでほっとした。
しかしあまり方々に止まったので、時間は相当遅かった。
私たちの人力車は文字通り一杯で、足もいつもと違った高い位置にあった。
ゴーゴンは両腕一杯に抱え込んでいて、粗末な包紙でくるんだ大きな包みがみんなに見えていた。
彼女は頑として膝掛けを拒んだ。
「みっともないですから、包みは覆ったらどうですか?」
私がそう云ったら本当に不思議そうに問い返されてしまった。
「どうして隠すの? 見えたっていいじゃない!」
ダイアー先生のお宅のある工学寮に戻って、大切な乗客の「貨物」をおうちの玄関口に下ろた時には本当にホッとした。
と、彼女は突然私の背中をポンと叩き、一言。
「上出来だったわ、アンタ」
そして最後に「あした、山王社で会いたいな」と云って別れた。


帰宅後、母と私はアマーマン夫人のところへお茶に行き、とても楽しかった。
お茶の後、音楽があった。
ミーチャ夫人と妹さんが歌を歌った。妹さんは演奏もした。
彼女は大いに自信がおありなのだけれど、彼女の音楽のスタイルは好きではない。
ディクソン氏の古典的なスタイルに比べると無味乾燥だ。
あれが音楽だというなら、私は“音楽”はまっぴらだ。
ディクソン氏の演奏を聞いている時には、音楽は素晴らしいと思うのだけれど。
ところで、ネリーはなかなかの人物だ。
「ひまし油が好きになったりよ」
私にそんなことを云ってきたのだ。
お茶の時にクレッカー先生に「走るのが早いか」ときいた。
「母に追いかけられた時には早かったですね」
茶化し気味にそう云う先生にネリーが一言。
「クレッカー夫人。夫人は先生に追いかけられた時には早く走れるのですか?」
あと彼女は私たちにしつこく「誰がボタンを持ってる?」というゲームをやらせようとした。
そうそう、モートン氏が弾いている時には「あの人うまいと思う? 私は思わない」と聞こえるような声で囁いた。
本人がいるその場で同意を求められても困るのだけれど。