Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第84回−3

1879年7月8日 火曜   
今日はグラント将軍のために日本人が夜会を催した。
私たちも招かれたので勿論行った。
勝提督夫妻も招かれたのだけど、代わりにお逸をやり、行かれなかった。
私たちは九時に一番良い服を着て出かけた。
母は黒の紗織、私は胴が青のクレープにレースで縁取りをした白のローン。
お逸はとても凝った和服だった。
着物は鼠の縮緬で裾に縫い取りがあり、刺繍をした緋縮緬の帯あげに金糸の帯、刺繍をした淡い青の半襟
髪は飾りが沢山ついていた。
あんまり沢山なので、アディが「花火みたい」と云ったほどだ。
榎坂からの道は提灯がずっとついていた。
工部大学校の前に提灯で大きなアーチが造ってあり、その上でU・S・Gという字が燃えていた。
大変立派な会で、私たちは警官、学生、一般人の立ち並ぶ間を、堂々と走り抜け、赤、白、青の提灯の長い列に沿って大ホール正門に着いた。
ここで十人あまりの係が控えていてクロークに案内してくれると、ミス・ビンガムが待っていた。
薔薇や裳裾――生まれて初めてだ――を直し、混んだ大ホールに入る。
ここはとても大きいホールだ。
「四千人の収容能力がある」と建築したド・ボワンヴィル氏からうかがったことがある。
ホールの周囲に大きな回廊が巡らしてあり、五十余の金色に塗った列柱で回廊を支えていた。
入口の正面突き当たりは壇になっていて、その上に、松、椰子等の大きな木が体裁よく置いてあり、その後ろにはアメリカと日本の国旗が、常緑樹の葉で作ったU・S・Gの字の下に、美しく下がっていた。
ホールは人の揺れ動く波でいっぱい。
美しく着飾った婦人たちは、暗い海面の燐光のようで、工部大学校のホールはいつになく華やかだった。
突然ざわめきが静まり、人々がバルコニーの下に退くとグラント将軍夫妻が入場され、高座の肘かけ椅子に坐られた。
息子のフレッド・グラント大佐はじめ軍服の随行員はその後ろの段に着席した。
ビンガム公使夫人、太政大臣三条実美夫人がグラント夫人の右手に坐った。
将軍の隣で、アメリカ公使の吉田清成駐米全権公使が男の方たちを紹介した。
母とビンガム嬢はフレージャー氏に、お逸と私はシェパード氏に紹介された。
グラント将軍はとても赤い顔をしていたが、グラント夫人は上野の時よりずっとよく見えた。
帽子を外しレースの袖のついた縞の紗織を着ていらした。
ちなみに息子のグラント大佐は軍服だった。
出席者は主として日本人で、二千名もいたので全部を紹介するのにかなりかかった。
紹介のすんだ人たちは周りに広がったり、自分のグループに行ったりした。
私たちはビンガム公使のグループに属していたので、エマさんが私たちを引っ張り、壇の方に引き寄せ、紹介が終わるまでそこにいた。
天蓋の下を出て(足元がとても悪かった)、両側から提灯に照らされた学生食堂に行くと、精養軒最上の食事が用意されていた。
ポンチが満々と入った巨大な器――なんと、ヘップバン夫人の風呂とまったく同じだ!――のところには、実物大の「精養軒梅」が堂々と据えてあった。
男の人たちはテーブルをアタックして食べだした。
そんな中、清国の公使たちは脇目もふらず、まるで命懸けのように猛烈な勢いで食べるので、周りが空いてしまった。
この滑稽な二人のみっともない振る舞いに外国人たちはとてもおかしがっていた。


シャンペンがたくさんこぼれる中で、おかしなことがいくつか起こった。
一隅では、燕尾服に白い帯を胴のあたりに巻き付けた日本人が、コップに盛ったアイスクリームを指で食べていたし、もう一人の人はニヤニヤ笑いながら、長いナイフでアイスクリームを舐めているので口が切れそうだった。
それからフェントン氏の指揮で海兵隊が「グラントのマーチ」を演奏する中をホールに戻り、お友達とまた一緒になった。
ホールは華やかそのもの。
前にも云ったように大多数は日本人で、婦人は主として宮中の礼服をつけていた。
吉田夫人、森有礼外務大輔夫人、井上嬢、鍋島夫人は洋装で、外務卿の井上馨夫人はクレープデシンの美しいイブニングに、ピカピカのダイヤモンドのブローチ、首飾り、腕輪、指輪をしたとても豪華な装いだった。
三条夫人、大隈重信参議大蔵卿夫人などは宮中の正装姿で、絹の長い緋袴に上は金やブルーで模様を織り出した素晴らしいブロケードを着、下に白い衣を何枚か重ねているのが襟元で見えた。
髪は白いリボンでただ高く結んで腰の下まで下げていた。
日本では天女は緋の袴をはいて、髪が十ヤードもの長さだと考えられているからなのだ。
戸口のところに奇妙な人たちがいて、私の好奇心をそそった。
四人いて、みな白髪を短く切って後ろにとかしつけ、煉瓦色の袴に緑の着物、大きなびょう釘を打ったドタ靴を履いている。
日本人の友達に聞いてみたらなんと未亡人だそうだ!
文部省の田中不二麿文部大輔夫妻、西郷従道陸軍卿夫妻、陸軍大輔の大山巌中将――私の生徒である大山さん――夫妻、川路夫妻、その他大勢の方々がみえていた。
とても楽しくて、母が十二時ちょっと過ぎに帰ろうとした時、私はまだその場を離れる気になれないほどだった。
だがホールはどんどん人が減り、グラント将軍一行も帰られ、ビンガム公使も帰り支度をされており、日本人はいなくなっていた。
それで私はようやく楽しい会場を離れた。
横浜の人たちは汽車が来るまでまだしばらくダンスをしていた。
飲み過ぎた一人の海軍少尉候補生は、ダニューブ河のさざ波に足を取られて、不様に羊のように仰向けにひっくり返ってしまった。
かくしてこの盛大な催しは終わり、陽気な人々は去り、薔薇はしおれ、バンドは静かに退出し、明るいアーチは燃え尽き、最後の車の乗客が門を出る際に振り返ると、ホールは人気もなく、天空高く星がこの空虚な静けさを静かに見据えていた。
日本人はグラントを王族より丁重に扱っているそうだ。
宴会、催し物、贈り物の山に、すべてのことを当然と受け止めるアメリカ人すら、その歓迎ぶりには驚いている。
「グラント将軍はまるで神様のような扱いを受けているから、ただちに彼のためにお寺を建立した方がよい」
ある日本人婦人の言葉だ。
実際友達のところにいる使用人はこう聞いたそうだ。
「通りにたくさん提灯が出ているのを見たけれど、何の神様の祭なのですか?」
この暖かい受け入れについて、色々な意見が外国人から出ている。
しかし、日本人自身はアメリカで日本人使節が親切にされたことと、グラント将軍が大統領在任中、日本に有利なように条約を改訂してくれたからだと云っている。
とにかく我が国の代表がこのように丁重に取り扱われるのを見るのは誇らしいことだ。