Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第85回−4

1879年7月14日 月曜  
さあ、日記さん出てきて頂戴。
グラント夫人を訪問した話をしますから♪
グラント将軍夫妻に会いに行かなくてはいけないことは分かっていた。
しかし、父は一緒に行かないし、ウィリイはいないので渋っていた。
だが勇気を奮って、家の人力車<オンボロの代物だが>で出発した。
「夫妻は誰にでも会うわけではない」
そう事前に聞いていたので、多くの人と同じようにただ名刺を置いてくるつもりで、新橋を通り、夏の離宮のお浜御殿に向かった。
お堀の側の踏み慣らされた車道を通り、はね橋を渡る。
そしてミカドの遣わされた衛兵が、紅白の旗がヒラヒラついた長い槍をたてて立っている厳しい門に入った。
広い砂利道を行くと大きな玄関があった。
日本人の紳士やお供がたくさんいて、西郷中将、伊藤博文内務卿もおられたが、帰られるところだった。
名刺を渡すと、若い男が出てきて「グラント将軍に会いたいか?」と尋ねた。
「もし夫人がおいでなら、夫人にお会いしたいのですが」
私がそう答えると、取り次ぎは中に消えたが、すぐ戻ってきて「こちらにどうぞ」という。
優雅なしつらえの部屋を二つ通り抜け、美しい応接間に入ると、お目当ての夫人はビロード張りの肘掛け椅子に坐っておられた。
私たちが入っていくと、夫人はすぐ立ち上がり、手を差し伸べて、尋ねるような調子で云われた。
「あー、ミセス――」
「ホイットニーでございます。こちらは娘でございます」
母がすかさずそう云ったところで、私は恭しくお辞儀をした。
夫人は私たちに坐るようにおっしゃり、私たちの方を問いかけるように見られた。
「お庭が綺麗ですね」
母がそう云うと、グラント夫人は暖かく答えられ「日本はほとんどアメリカぐらい綺麗な国ですね」と付け加えた。
「とても嬉しく思いますわ。いま『ほとんど』と仰ったことに。
美しさにかけては私たちの国に比べられる国ないと思っておりますから」
そう云う母に、夫人はこう答えられた。
「そうですね。ですがこんなにアメリカを思わせる国に行ったことはありませんわ」
そこで私は思い切って口を開いてみた。
「日本の景色はスイスの景色に較べられています」
すると夫人はスイスの景色を長々と説明しだしたのだけれど、夫人に描写力がないのは明らかだった。
「スイスはアメリカに例えられていますよ」
そう云われるので、私は慎ましくこう付け加えた。
「大きさを除きましてはね」
グラント夫人はかなり老けてみえる。
おまけにとても不器量で、表情がいやだし、斜視だ。
もっともこれに関しては「強い光にあたりすぎたせいですわ」と母に云っておられた。
夫人は、高い地位にいることを非常に誇らしく思っているようだ。
しかし、会話の途中「たまたまこういう境遇に置かれたのだ」と母にしみじみと話された。
ああ、本当にその通りなのだ。
夫人は日本の家がすっかり気に入っている。
「帰国したら日本式の家を持ってもよいかと、昨日将軍に聞いたばかりですのよ」とも云われた。
「この家は御殿です! 御殿に住んでいるのですわ。
日本人はとても親切で、下にもおかぬもてなしです」
それから夫人はこうも云われた。
「床に敷き詰めてしまう絨毯は、とても汚くなるので我慢なりませんわ。
磨いた床に小型の絨毯を敷くほうがずっとよいのです。
小型の絨毯だったら簡単に巻き上げて、バケツに水を汲んで、雑巾がけができますもの」
更にロング・ブランチにあるグラント家の話をした。
「私の将軍の家では、このクレトン更紗を使って室内装飾をしていますの。
ええ、ピンクの部屋、青い部屋、淡いブルー、濃い緑、ピンクとグレー、青とグレーといった風にどの部屋も違う色にしてあるんですよ」
こんな風に自分の持ち物について、特に「私の主人が、私の将軍が」と、ぺちゃくちゃ喋るのを聞いているのはおかしかった。
夫人は全体に人の善い方のようだが、見る人を威圧するといったところはない。
どんな身分から成り上がったかは明らかで、レディらしい点が殆どない。
どちらかというと下品で、威厳がまったくない。
率直に私はそう思った。


この人は幸せな人だ。
この世の栄華を一身に受け、夫、子供たちに恵まれ、王族からも敬われて。
こんな素晴らしい境遇におかれたことを神に感謝することを忘れないでほしい。
「十六日には劇場にいらっしゃいますでしょうね?」
私が云うと、夫人はあやふやに私を見て「はあ。あなたはいらっしゃるの?」とぶっきらぼうに云われた。
「母が行くつもりのようです」
「私の主人のために“特に”一番の俳優を集めたんでございますよ」
グラント夫人は誇らしげに云われた。
それから間もなく、丁寧に挨拶を交わしてお暇した。
出る前に、夫人はわざわざ私たちの名前を確かめられ色々聞かれた。
「ここにはどのくらいいる予定か? イギリス人なのか?」
「違いますわ!」
「それでは何州の出身ですか?」
ニュージャージーでございます」
「ああ、そこですか、ロング・ブランチにはいらしたことがありまして?
それからご主人は何をしていらっしゃいます? どこにお勤めですか? 
何処にお住まいですか?」 
「勝提督のところでございます」
「それはどなたですか?」
等々のやりとりがあった。
全体として楽しく、面白い時を過ごして帰った。
しかしこの言葉だけは耳を離れなかった。
『私たちは御殿に住んでいるのですわ』
確かに屋敷は素晴らしい造りだ。
ビロードの椅子、緞子のカーテン、豪華な壁掛け、鏡、時計、飾り。
シャンデリアは水晶で、壁はエレガントな日本の襖紙、扇面、琵琶、笛、その他で一杯。
ドアや木の部分は金漆だった。
こんなに容易に元大統領夫人とお話しできたことに私は驚いた。
だが、考えてみればそれほど難しいことではないのだ。
真のレディは誰とでも対等で、どんなに高い身分の人の前でもまごつくことがないのだから。
だがグラント将軍夫人が、外見もマナーも「もう少し洗練されていたら」と思わずにはいられない。
もっと低い身分の低い人でも、レディらしく、このように高い地位にぴったりの人はいるものだ<たとえば私のお母さん> 。