Fate雑記(士凛特化)&血だまりスケッチ こと 魔法少女まどか☆マギカ観測所

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クララの明治日記 超訳版第79回−1

1879年5月15日 木曜  
昨日杉田家の人々が、今日の一時に麻布永坂のお稲荷様である竹長稲荷のお祭見物に招待して下さった。
六蔵にちょっとした贈り物を包み、杉田夫人にも薔薇を一束切って、程よい時間に出かけた。
永坂の杉田家に着くと、玄関で皆が待っていて、快く迎えて下さった。
玄関には家紋<羽根を伸ばした鶴に漢字の田>がついており、両側にはやはり家紋のついた白い長い提灯が。
大きな古い玄関の薄暗がりにいる家の人の姿はさながら絵画のよう。
戸口には杉田夫人が優しく笑いながら立っておられ、その明るい、物柔らかな目が素晴らしく若々しかった。
両側には背の高い息子さんたちが畏まって立っていたが、目はキラキラしていた。
一段下がったところで、赤い頬をしたおよしさんが、赤とピンクの縮緬に薄鼠色の着物を着た小さなカーちゃんを抱いていて美しかった。しかめつらしい家来がその反対側に、使用人たちが前に坐っていて、薔薇色の頬のおやすや斜視の女中とこれも女中で刺繍の上手な藤色の着物を着た綺麗な女の子もいた。
武さん、お祖母様、その他大勢に富田夫人もスーちゃん、つまり真男ちゃんを連れてきていた。
お辞儀、挨拶、せんだってのお礼、適当な言葉を添えながら贈り物の贈呈。
例によってそれら日本の習慣にしばらく時間をかけてから、少なくとも十五年は経っている古い写真を見せられた。
一つは昔の習慣に従ってクリクリ坊主にしている杉田先生の写真だ。刀を二本差し、扇を持っている。
もう一つは剣を持って威儀を正した、当時七歳の雄(いさお)さんの強そうな写真。
他に、あの謹厳な盛さんが乳母の背で寝ている赤ちゃんの時の写真もあったりして、とても面白かった。
それから芍薬を見に庭に出て戻ってくると、畳の上に苺、お菓子、お寿司が広げてあった。
苺には食べやすいように楊枝が刺さっていて、とてもおいしかった。
しかし踊り子たちはなかなか来なかった。
ようやく連絡があったかと思えば「顔を直しているから」などと云々。
盛の言葉を借りれば「塗りたくっている」ということなのだろう。
何度も何度も来たかどうか見に行った後、やっと子供たちが坂を駆け上ってくる下駄のカタカタという音がして、近づいて来たことが分かった。
揃いの青い着物に、青い布を頭に乗せた六人の男の人が門の前までやって来た。
そうして私たちのところに大股で近づくと深々とお辞儀をし、呼んでくれたお礼を言った。
それからゴロゴロいう音と同時に、大きな山車が現れる。
衣装を着けた四人の女の子と踊りの師匠、弟子たちがその山車に乗っていた。
次に来たのも同じ造りの乗物で、囃子方が大勢乗っていた。
六人の男の中の一人が山車だか移動舞台だかの台を整えると、ついてきた子供たちを一列に並べ、大きな二本の木片を「ヤー」と云って叩いた。
これが始まりの合図で、たちまちシーンとなった。


鷲、虎、竜を金糸で縫い取った打掛けを着、髪を大きく結い、鼈甲の笄に大きな櫛を二つにさした十三くらいの女の子が舞台にあがる。
これはジョロー、つまり売春婦で、将軍に叛いている謀反人の一味だった。
踊りがすみ、懐から取り出した長い手紙を読み終えると、誰かを待っている風に髪を直したり、あちこち見回りをした。
やがて十五歳ぐらいの女の子扮する若侍が大股で出てきた。
古めかしい袴に黒紋付を着た殿様の姿で、彼はこの美しい女を愛しているらしい。
しかしこの若殿様は忠義者で、主君に手紙を渡す役目を帯びていた。
女郎はこの手紙が一味に役立つことが分かり、騙し取ろうとするが、初めはうまくいかない。
手紙が欲しいと云われた若様は烈火の如く怒って、刀を抜いて女を殺そうとする。
だが、何も知らぬげに謝られたのと、女の美しさに負けて刀を納め、遂には上手に言いくるめられて手紙を渡してしまう。
女は手紙を持ち去るが、若様の方はどうにも怪しいと、家来二人を取り戻しにやる。
家来は女を襲うが、とても強くて人睨みで倒されてしまった。
そこに若様もおっとり刀で駆けつけるが、たちまち魔女にやられてしまう。
若様は絶望に打ちひしがれ、家来は倒され、女が勝ち誇ったところで、この場の終わりとなり、一行は移動していった。
……この芝居の趣旨がよく分からない。
まさか「悪が勝つ!」という主題でもあるまいに。
もしかしたら、若殿様の方が悪人ということなのだろうか?
そもそも、この踊子達の由来の方がもっと珍しい。
狐を使者とするお稲荷様は神話的存在で、至るところにお社が建てられている。
稲荷祭はよくあって、そこで踊る女の子は必ず幸せな生活が送れると云われている。
この女の子たちは上流ではない階級から選ばれ、例えば今日の女郎役は簪屋の娘だし、若様役は貧しい蕎麦売りの娘である。
その一方、貴族の娘は、踊りを見ているところすら人目についてはならない。
カーテンを下ろしたバルコニーで侍女に囲まれてならば、この自分たちほど恵まれない姉妹たちを、半分蔑みの目でご覧遊ばすかもしれないが、このような者どもと交わることなどとんでもないことらしい。
しかしお稲荷様を信仰する哀れな人々は、自尊心をこのように犠牲にすることに対してまったく別の見方をしている。
こういう見方は女の子たちにとっては厭なことかもしれない。
だが、これは幸運の確実な前兆なのだ。
お稲荷様の前で一度踊った女の子は御利益で必ず富と成功を収めると云われているのだから。
武さんは上流に生まれた者の見方で、この風習を蔑み、この女たちはろくなことにはならないという。
「踊子として成功しようとしてよく茶屋女になって、しかしだんだん落ちて行き、結局は今自分たちが演じたような女郎にまで落ちぶれてしまうことが多々あるのですよ」
私にとっては、こんな年端もゆかない女の子が、このような不純なものに直面することの方がよほどショックだ。
こんな無分別の結果、ひどい目に遭うのも当然のことだ。