1877-01-01から1年間の記事一覧
1877年6月13日 水曜日 「家達様は横浜の大きなホテルに泊まっていにして、大勢の人が会いに行っているらしいわよ。もっとも面会を許されるのは、貴族や高い位の人たちだけど」 お逸が今日もまた内部情報を教えてくれた。 昨日の官報に載ったインタナ…
1877年6月12日 火曜日 今日授業が終わると、母は今度の金曜日に予定しているお客のために横浜へ買い物に行くことに決めた。 昨夜のひどい風による恐怖が嘘のように朝は晴れ上がっていたので、午後一時に出発した。 汽車の中で知人には誰にも会わず、…
1877年6月11日 月曜日 今夜風がひどく、怖くてたまらないので眠れない。 神様がこの強風を支配しておられ、風はその指図に従っているまでだと分かってはいても、この強い神の僕の前では私の勇気は萎んでしまうのだ。 徳川公は今日船で出発される予定…
1877年6月9日 土曜日 今日は終日、生暖かい南風が吹き、皆だるくてぼうっとしていた。 風が吹くと、いつもこうなのだ。麻布にある開拓使の第三号試験場――とは云ってもその実態は物品売り捌き所なのだけれど――に行って野菜と花を買った。 それからお花…
1877年6月8日 金曜日 今朝、お祈りの用意をしていると、人力車が二台やって来て、徳川公と大久保三郎氏が降りてきた。 さあ大変! 生徒達は客間から飛び出し、私は二階に駆け上がって綺麗な襟をつけ服装を整えた。 それから下へ降りて行って徳川公と握…
1877年6月7日 木曜日 最近日記を纏めて書くことが多いけれど、これは風邪で気分が悪いのと、仕事が忙しいからである。 勉強したり教えたりする時以外は無精になってしまい、軽い読書をするか何も考えないで坐っているだけだ。
1877年6月5日 火曜日 今日はお逸と、日本の習慣や言い伝えについて長い間面白い話しをした。 例えば子供の歯が抜けるか抜くとした場合のことだ。 それが下顎の歯ならば、新しい歯が上に向かって生えるように家の屋根の上に投げ上げ、上の歯ならば、新…
1877年6月4日 月曜日 徳川公が、九日か十日に出発する今度の汽船でイギリスに行かれることになった。 今日の夕方、うちで食事をした種田誠一氏という若い銀行家が、そう教えてくれたのだ。 大久保氏、三郎さんではない、弟の方の大久保業氏がお供とし…
1877年6月2日 土曜日 今日うちで祈祷会を行った。 昼の一時過ぎに本当に懲りない矢田部氏がみえた。 「お浜御殿へ行きませんか」と誘ってきたのだけれど、私は無論行かなかった。 たとえ行けたとしても行く気はなかった。 「矢田部氏は、お宅のクララ…
1877年5月25日 金曜日 おやおさんとお逸が音楽の稽古を始めることになり、水曜と木曜に私が教えることになった。 我が友大久保三郎氏から手紙が来た。 カステラの作り方が入っており「もしよければうちへ来て作り方を教えてあげたい」と書いてあった…
1877年5月23日 水曜日 今日もわくわくするような日だった。 岩倉具視公とその他のお偉方――東伏見宮公、寺島公、松方公など――の面前で気球が上がったのだ。 エンジンがガスを入れ始めたのは朝の五時だったので、道を塞ぐ人はまだあまりいなかった。こ…
1877年5月21日 月曜日 今日は木挽町にとって、華々しい一日だった。 というのは、海軍省が気球を上げたのでこの町が有名になったのだ! この大行事が行われる広場には午前九時前から大勢の人が集まり、なんと午後四時まで待っていた。 うちの露台から…
【クララの明治日記 超訳版解説第30回】 「というわけで、クララ一家の箱根旅行の模様でした」 「本当にガイドブックみたいですわね」 「来日外国人の記録を見ると、外交官や神父の記述以外だと、こんなものみたいだよ。ヨーロッパやアメリカでは既にこの…
1877年5月17日 木曜日 朝早く藤沢を発ち、神奈川へ向かった。 何度か官営宿屋に寄って休息し、五時に神奈川の駅に着いた。 そこで人力車の車夫たちに別れの挨拶をすると、一団になって待合室にやって来て返礼した。しばらく付き合ったこの人たちに親…
1877年5月16日 水曜日 雨と霧のために出発できなかったので、奈良屋で三、四日過ごし、今朝私たちは再び車を連ねて出発した。 小田原で昼食をとり、またどんどん進んだ。 一人の騎兵が私たちの前を馬に乗って通っていったが、何度かマントを落とし、…
1877年5月12日 土曜日 昨晩泊まった旅館は鎌倉屋という名で、主人は非常に感じのよい人だったのだけれど、暗さと湿気が耐えられなかったので、雨と霧の中を出発した。 下るにつれて段々明るくなり、芦の湯に着くまでには太陽が照りだした。 しかし山…
1877年5月11日 金曜日 今朝はとてもよく晴れていたので、朝早く、塔の沢玉の湯旅館と女主人に別れを告げて、高く険しい山道をまた上り始めたのだけれど、ヤスは少し後に残って、彼をとても持て囃してくれた茶屋の女達と別れをしばし惜しんでいた。 私…
1877年5月10日 木曜日 昨晩は疲れ切っていたので、私たちは寝坊してしまった。 普段使わない日本式寝床でも、とてもよく眠れた。まるで、いつもし慣れているかのように、掻い巻きを掛けて寝たのだけれど、あまり自慢はできない。 起きた時に寝ぼけ眼…
1877年5月9日 水曜日 顔を洗って着替えを済ますと、ヤスがお茶と梅干しを持って来た。 「柔らかい砂糖を振りかけて、日本では毎日朝食前にこれを食べるのですよ」 母は好きではないし、アディは食べられず、ウィリイは食べたらとてもむかむかすると云…
1877年5月8日 火曜日 今日から私は母、ウィリイ、アディ、そして使用人のセイキチを連れ、晴れた日には東京から青い輪郭が微かに見えるだけの箱根山へと出かける。 帰宅するまでの総距離数は延長は四十五マイルか五十マイルにもなる予定だ。 九時に出…
1877年4月27日 金曜日 今日、以前お会いしたことがある村田一郎氏がみえた。 村田氏は今度の船でアメリカから帰られたばかりだけれど、風采がぐんとよくなり、立派な紳士になられた。 以前この国にいた時は、間が抜けていて不器用な方だと思ったもの…
1877年4月18日 水曜日 今日、古いトランクをひっくり返していたら、アメリカを発つ前に頂いた昔の年賀状が出てきた。 素敵な銅版画で、小さいキューピッドの乗った貝を、海豚やその他想像上の動物が引いているものだった。 そう云えば、と今更ながら…
1877年4月17日 火曜日 今月はなんと出来事の多い月だったろう。そして今日もまた実に楽しい一日だった。 勝夫人が向島の桜祭に招待して下さったので、十二時に出発した。 勝夫人と玄ちゃんが一台目、母とアディが二台目、お逸と私がその次の人力車に…
【クララの明治日記 超訳版解説第29回】 「……なんなんですの、この天然お嬢様は?」 「おやおさん、破壊力がますます半端なくなってるわねー。 属性はおっとり天然系、出自は将軍家斉公の孫! 本当に最強よね!」 「最後のシーン、これ、本当に“素”でやっ…
1877年4月14日 土曜日 今日、富田夫人と一緒に松平夫人を訪問した。 高木氏のところにも寄るつもりだったのだけれど天気が悪く、早くから出かけられなかったので時間が足りず、一箇所しか行けなかった。 松平夫人はとてもよくおなりのようで、二つの…
1877年4月12日 木曜日 いつも日記帳が早く終わってしまう。少なくとも最近はそうだ。きっと書くことが増えているのだろう。 新しい日記帳を買いにヤマト屋へ行ったのだけれど、紙がとても悪くて気に入らないものばかり。 仕方なく、このノートを注文…
1877年4月10日 火曜日 昨日、渡辺おふでさんという新しい生徒が来た。まだ17才なのに結婚されている。 お父様の渡辺清氏は福岡県令で、大阪府知事の渡辺昇氏の親戚に当たる。 師範学校、つまり女学校に通ったことがあって、英語を読むのがとても上…
1877年4月9日 月曜日 ジョン・バラ夫人がお泊まりになって、私と一緒にお休みになることになったので、ウィリイは勝家に泊まった。 矢田部氏が懲りずに、いつものように訪ねてきたのだけれど、母はバラ夫人に誰だか知らせようとしなかった。 というの…
1877年4月5日 木曜日 マッカーティー先生がお帰りになった後、母と人力車で外出し、間もなく気が付いたら上野公園の近くまで来ていた。 それで中に入り、美しい公園内を歩き回って、記念碑から団子坂までくまなく探検した。 丈の高い木々やお寺や、そ…
1877年4月3日 火曜日 なんと今日は忙しかったことだろう。徳川家達公を晩餐に招待したのだ! お逸が泊まりがけで手伝いに来てくれた。デザートに気のきいたものを沢山作って、四時に準備完了した。 二階に上がって着替えをしていたらお逸もやってきて…