1877-01-01から1年間の記事一覧
1877年8月31日 金曜日 この一週間横浜のヘップバン家へ行っていた。 私が土曜に行くよう母が先週の金曜日に打ち合わせしておいたのだ。 ヘップバン先生のお宅では、本当に素晴らしい日々を過ごした。 夫人は大変優しくして下さり、先生と私は五時にク…
1877年8月24日 金曜日 昨夜はなんとも暑くて暑くて、二時まで誰一人一睡もできなかった。 アディはすっかり暑気あたりをしている。 松平定敬氏のお使いで小泉氏がみえた。 「蕎麦菓子の作り方はないだろうか?」 松平氏は今とても体の具合が悪く、血…
1877年8月23日 木曜日 午後日本博覧会へ行った。 思ったほど大きくはなかったけれど、なかなか素晴らしいものである。 出かけたものの刻限的にかなり遅かったので、全部見るには時間が足りなかった。 一番惹きつけられたのは美術館だったのだけど、日…
1877年8月22日 水曜日 おやおさんとおすみが七時半に来たが、私も早起きしていて助かった。 お祈りの後、三浦夫人がみえたが、今日は赤ちゃんを連れていなかった。 変わった感じの扇子を下さったが、私たちのように大分日本に住んでいる者にとっても…
1877年8月21日 火曜日 今日はミカド、皇后陛下と内閣の主催する東京博覧会、つまり内国勧業博覧会の開会式の日だ。 昨夜は涼しくて気持ちよく、非常に眠りやすい晩だった。 今日は曇りで、とても涼しい。 昼食後、杉田家に出かけることにし、途中でお…
1877年8月16日 木曜日 このところ、家中を、日本人の言葉で云うと“ソウジ”で忙しかった。 食堂と寝室三つを大掃除したのだが、大部分は母と私でやった。 先週の金曜日、矢野氏が畳を替えてくださると約束なさったので、ほぼ一週間も畳を上げて待って…
【クララの明治日記 超訳版解説第33回】 『西郷さんの首をお土産に持ってきますよ』 「商法講習所で父の片腕となって助手を勤めていた高木貞作氏(この当時28歳)にそう云われたクララ。 当然のことながら、クララは本気で捉えていません。この時点で西南…
1877年8月7日 火曜日 今朝、朝食直後にダグラス夫人がみえたので驚いた。 母に一緒に開拓使に行って欲しいというのだけれど、通訳役の私が午前は行けないので、お昼まで待って頂いて、その後すぐに出かけた。 人力車の車夫たちと随分揉めたが、こんな…
1877年8月6日 月曜日 モクリッジお祖母さんがコレラで亡くなったのは、今から丁度二十八年前のこと。 発病から、たった六時間後だったそうだ。 今これと同じ恐ろしい病気が東京に向かっているというので、皆大変心配している。 日本はこのような病気に…
1877年8月1日 火曜日 夕べはぐっすりと眠って、七時過ぎまでは目覚めなかった。 おやおさんとおすみが来て、私はおやおさんとお逸に音楽の授業をした。 午前中に高木氏がお別れを云いにおいでになった。 松平定敬氏の領地である桑名へ、一緒について行…
1877年7月31日 火曜日 今日は一日中台所仕事で忙しかった。 家の中のことをする使用人はテイだけだが、ヤスがよく手伝ってくれる。 午後母とアディが出かけた後でケーキとパイを作り、カステラをまた作ってみた。 外観が綺麗に出来上がり、得意になっ…
1877年7月30日 月曜日 今日、母とウィリイが横浜へ行ったので、私が家を片付け、皿洗いを手伝った。 笠原さんは今日も来なかった。 ウィリイが来るなと言ったのかではないかしら? ああ、私が大好きな人は皆去って行ってしまう! ミカドと皇后様は今…
1877年7月28日 土曜日 昨夜は本物の台風が荒れ狂っていた。 それでも今朝はもう出て来ないのではないかと思われた太陽が顔を出した。 使用人がテイとヤスだけになったので、仕事は山のようにある。 新しい料理人の万吉はバターとチーズを見たら気持ち…
1877年7月27日 金曜日 いろいろの家事を済ませた後、母が帽子を被って云った。 「一緒に開拓使まで来るように」と。 風がかなりひどくて、途中は大変だった。 開拓使では役人が輸出用の林檎を包装しているところで、母に沢山質問をした。 果物はアル…
1877年7月26日 木曜日 今日はなんて風が強いのだろう。北から吹く本当の暴風だ。 雨も土砂降りで、戸が開いてしまいそうなのを押さえるのに苦労し、張り出し窓からはひどく雨が染みこんだ。 夜までにやんでくれるといいと願ったが、むしろ激しくなる…
1877年7月25日 水曜日 今年はまだ旅行に出ていない。計画はいろいろあるのだが、皆の意見が纏まらないのだ。 精養軒から食事を取るのは今日が最後で、また奮闘が始まることになった。 疋田氏が万吉という若いサムライを寄越したので、この夏は彼に料…
1877年7月21日 土曜日 今週はいいことが一杯あったのに、暇がなかったり面倒臭かったりしてあまり日記は書かなかった。 日記とは素晴らしいものだ。 けれど、ハリエット・ニューウェルやアン・ジャドソンの日記を読むと、自分の日記に愛想が尽きてく…
1877年7月20日 金曜日 夏休みのため、昨日最後の授業をし、今日は父の働く商法講習所の所長である矢野二郎氏を食事にお招きした。 正直に云えば、わたしも父も矢野氏があまり好きではない。 けれど、少しへつらうための政策である。 西田伝助氏、高木…
【クララの明治日記 超訳版解説第32回】 「16歳で男二人を天秤に掛けるなんて、クララ、恐ろしい子!」 「天秤に掛けていると云うより、前者の笠原氏は“遊び相手”、後者の大久保氏は“ただ憧れているだけ”じゃありませんの? もっとも2年前の、アメリカ…
1877年7月17日 火曜日 おやおさんがまた勉強を続けることになった。 ウィリイは昨日松平家へ行って、アメリカから帰国されたばかりのご亭主に会って来た。 三年ばかり前に松平康倫氏、松平定教氏、南部栄信氏の三人の若い殿方がアメリカへ渡った。 南…
1877年7月16日 月曜日 丁度二年前の今日、私たちはサンフランシスコにいた。 二年後の今、過去がまざまざと蘇る。 欠点も多く間違いも犯したけれど、私はこの二年間に随分経験を積んだ。 確かに年も取ったし、色々な身分の人とも数多く出会い、彼らの…
1877年7月10日 火曜日 昨日から色々のことがあったのに、なんだか書く気にならなかった。 おやおさんがおやめになる。婚約者の松平康倫氏が帰国なさるからだ。 おやおさんはとても利口で教えがいのある生徒だから、すぐに結婚なんかなさらないといい…
1877年7月5日 木曜日 「これはもう駄目ですね。切開して骨を取り出さないと」 突然の医師の宣告に私は驚愕する。 悲鳴を上げる間もなく手術を施された私の左手の親指は切断され、二度とピアノが弾けなくなった……。 「―――!?」 声にならない悲鳴をあげて…
1877年7月3日 火曜日 最近ウィリイは勝家へ出向かないで、勝家の子供がここへ来ることになっている。 庭で彼らと遊んでいたら、私宛の手紙が来た。 開けると「R……」という署名が目に入った。 そして内容はと云うと……愛情の告白なので、たまげてしまっ…
1877年6月23日 土曜日 「奥様、お嬢様、わたし、このたび熊本に行くことになりまして」 今朝夢中で仕事をしている時、テイが突然そんな話を切り出したので吃驚した。 熊本と云うことは、今起こっている薩摩との戦に駆りだされるのだろう。 雷に打たれ…
1877年6月20日 水曜日 今朝早起きしたが、起きると間もなく精養軒の給仕が朝食を持って来た。 修辞学を暗唱しているとジェニー・ヴィーダーから手紙がきた。 横浜へ行ってテネシー号の歓迎会に出なくてはならないから、今日の会合には行かれないとの…
1877年6月19日 火曜日 昨夜上杉氏が、自分の内の庭にあるお堂を古い石と引き替えに売って、跡をクローケー場にする計画を立てていると云われた。 この計画は文明の進歩の一例だと考えたい。 いつものようにやって来た矢田部氏はとても感じが悪く――何…
1877年6月16日 土曜日 今朝ぐったりと疲れて目が覚めると、外は大雨。 明日はアディの誕生日だから、今日お浜御殿に行って祝う予定だったので、アディはがっかりしている。 疲れ切って、ゆっくり休息もしていられなくなったのは、昨日使用人との間に…
【クララの明治日記 超訳版解説第31回】 「アンタのことなんてなんとも思ってないんだから、握手だってしてあげないんだから! カテスラの作り方を教えてくれたって、感謝してあげるのはあくまで義理なんだからね、勘違いしないでよ!」 「……お逸、貴女、…
1877年6月14日 木曜日 午前中に滝村氏が、徳川公を乗せた船が昨日出航し、この若き友に関してはすべて順調に行っていると知らせにおいでになった。 そして徳川公からの挨拶と、化粧鞄のお礼をお伝えになったけれど、ケーキのことは何も云わなかった。…