1878-01-01から1年間の記事一覧
【クララの明治日記 超訳版解説第57回】 「まずは、実は“本文”だと分かりづらい最後の、うちの父様が家を買って云々のところから解説するわね」 「確かに原文だと本当に分かりづらいですものね。 『富田氏が今朝みえて、勝家の近くに良い家が見つかったの…
1878年9月25日 水曜日 富田氏が今朝みえた。 「勝家の近くに良い家が見つかったから、多分勝氏がそれをホイットニーさんのために買い取ることになるでしょう」 それで勝氏の希望により、我が家の二千ドルの預金の証明書を富田氏に預けられた。 私たち…
1878年9月24日 火曜日 小泉氏が昨日来て、おやおさんがすっかり回復されたので、明日から授業に来るとのことだった。 彼女が来るのは嬉しい。お逸も喜んでいる。 お逸と私は午前中にド・ポワンヴィル夫人の赤ちゃんがよくなったか聞きに出かけた。 赤…
1878年9月23日 月曜日 今日はことの多い一日だった。 けれど同時に、楽しい一日でもあった。 日本の感謝祭で、通りはお祭り気分の人出賑やか。 富田氏がまずみえて「手に入りそうな家が見つかった」と云われた。 それは勝家の隣で、建宮敬仁親王が亡…
1878年9月20日 金曜日 およしさんが大雨の中を赤ちゃんを連れてみえた。 それから一日中、お逸が来ていた。 いろいろ面白いことを教わったが、それはスクラップブックの方に書き留めておいた。 「クララ、貴女だけよ、私が友達といえるのは。本当にあ…
1878年9月19日 木曜日 私は毎朝早く起きて六時半には勉強をする。 苦心惨憺して書いたこの間のエッセイは大判洋紙で十六頁にもなった。 本当にくたびれてしまった。でも書くのは楽しくもあった。 私は勉強するのが楽しいのだ。 今日は富田氏、村田氏…
1878年9月18日 水曜日 サンフランシスコに送るエッセイを書くのがとても大変で、他の書き物をする気になれなかった。 私にとってはとても文学的な月だった。 ここのところ殆ど毎日雨が降って家にいたけれど、家の中にいても結構濡れた。 というのは大…
1878年9月13日 金曜日 まだ一日の終わりではないのだけれど、午後にこれ以上重要なことは起こりそうにも思われないので先に日記を書いておく。 午前中、昨日訪ねて来られたド・ボワンヴィル夫人を訪ねた。 夫人は富岡へ転地のために出かけられるとこ…
1878年9月12日 木曜日 火曜、水曜と雨が降り続いたので誰も来なかったし、私たちも出かけなかった。 しかし今日はアディと私はサットン家のテニスへの招待を受けた。 もっとも三浦夫人が長いことおられたので出かけるのが遅れてしまったのだけど。 メ…
1878年9月9日 月曜日 ディクソン氏が五時に来て、十時までいた。 彼が来た時、私は外出していたが、六時には帰ってきた。 彼は上機嫌で、私たちはゲームをしたり、歌を歌ったり、お喋りをしたりした。 夏の旅行の話をして下さり、猫と写真を下さると仰…
【クララの明治日記 超訳版解説第56回】 「まずは先週の最後の『この話題は来週もほんのちょっとだけ続くんじゃ!』の続きから」 「竹橋事件の続きですわね」 「8月31日分にある『兵隊の再度の反乱があったにもかかわらず』というところと、楠本知事との…
1878年9月4日 水曜日 今日は土砂降りの一日。 今年はよく雨が降るけれど、雨は嫌いじゃない。 お昼に父から言付けがあった。 皇后様の学校の柴田氏という方が、息子さんを連れて夕食にみえるというとのこと。 それで私たちはご馳走を作った。 五時頃、…
1878年9月3日 火曜日 母はディクソン氏から素晴らしい贈り物を受けて、吃驚している。 「これはカンザン焼の茶器のセットで、京都の焼き物の中でももっとも高価なものですね」 森氏がそう解説して下さった。 模様は青地に梅の蕾と花と竹の葉が描かれて…
1878年9月2日 月曜日 今日の生徒は盛一人。 お逸はどうして来ないか分からない。 午後、母はお客様があったので、私は森氏の義姉であるおひろさんと一緒に東京府知事の楠本正隆氏を訪ねた。 前にウィリイに下さると約束して下さった紹介状を、ウィリイ…
1878年9月1日 日曜日 小さい礼拝堂は再び一杯の会衆を迎えた。 田舎に行っていた友達も東京に帰って来て、がらんどうだった教会の座席を埋めていた。 もう一度みんなの顔を見て嬉しかった。 それにインドからの医療宣教師であるチェンバレン先生から、…
1878年8月31日 土曜日 ゆうべはとても眠くて一晩中ぐっすり眠った。 兵隊の再度の反乱があったにもかかわらず、天皇陛下は昨日北陸地方と東海地方への旅に出られた。 陛下は後継者に有栖川宮をお決めになったそうだ。 有栖川宮は十五歳で海軍省へ行っ…
1878年8月30日 金曜日 私の生涯の新たな区切り目に来た。 今日が私の十八歳の誕生日なのだ。 お逸と私は誕生日がごく近いので、一緒にお誕生祝いをすることにした。 昨日松平家に行った時に、私の家で勝家の方々や滝村家の方々にお会いになるよう、お…
【クララの明治日記 超訳版解説第55回】 「明治日本最初の軍部の反乱! 近衛砲兵大隊による赤坂御所襲撃計画! 暗躍する謀略家岡本柳之助の影に見える囚われの陸奥宗光の姿! 刑死者55名、処罰者302名! 明治前期日本の歴史の最大の闇! それが竹橋事…
1878年8月27日 火曜日 今朝は朝寝坊をしてしまった。 雨が降っていたし、前の晩寝ていなくて疲れていたのだ。母はだいぶよくなり、床の上に起き上がって、いつもの母のようだ。神様が私の祈りに答えて下さったことに感謝する。 午前中は早く過ぎてし…
1878年8月26日 月曜日 昨夜母が急病になった。 こんなことは久しくなかったのだけれど、二年前に罹ったのと同じ病気で、あの時は午前三時にアンダーソン先生を呼びに行ったのだった。 父もアディも使用人たちもみんな寝込んでいて、こんな時に呼べる…
1878年8月25日 日曜日 今朝早く礼拝に行った。 アディは猛烈に歯が痛むので、抜かなければならないと母は考えている。 アレグザンダー先生のお説教だったが、正規のお説教ではない。 正規の礼拝は来週の日曜日から始まるのだ。 私の日本語の日曜学校…
1878年8月24日 土曜日 昨夜は恐怖の夜だった。 十一時頃に兵士の一団が開成学校の近くの竹橋にある司令部で反乱を起こしたのだ! 私たちはその自国に五発の砲声で目を覚ました。 宮城から聞こえてきたそれは、非常事態の合図なのだ。 五分と立たぬう…
1878年8月23日 金曜日 授業が済んでから昨日貸していただいたフリーザーを返しに、器にいっぱいのアイスクリームを持って勝家に行った。勝提督はアイスがお好きなのだ。 お逸もおせきも留守だったけれど、奥様がおいでになって楽しい話し合いをした。…
1878年8月22日 木曜日 同人社の先生方五名が父や私たち家族と顔合わせをするために、中村正直氏の養子である中村一吉氏と連れだってみえた。 静かな気持ちのよい話し合いだった。 中村氏が一番感じの良い青年だったけれど、もう一人、もっと若い素敵…
【クララの明治日記 超訳版解説第54回】 「今回は随分と短めでしたわね。このシリーズ最短ではないのかしら?」 「この後、一気に日記が連日立て込むからねー。過去ログとして上げる時に、区切りがないと、このコーナーを挟めないわけで」 「そのような場…
1878年8月20日 火曜日 しばらく日記を書く気にもならなかった。また書く機会もなかった。 お逸が木曜日の晩、私の家に泊まり、金曜日ずっと一日いたが、夜は蚤と騒音に悩まされたようだ。 おやおさんは発疹で寝込んでおり、盛はチフスに罹ったので授…
1878年8月14日 水曜日 みんなでウィリイを見送りに行く支度をした。 母と私はついでの用事で横浜に行くことになっていた。盛、雄、小鹿さん、疋田氏など皆さん駅に来られた。笠原が付き添っていくことになっている。 家を出る直前に富田氏からの手紙…
1878年8月13日 火曜日 ウィリイは石川県加賀郡金沢町にある啓明学校に教師として近く赴任する。 悲しいけど、お金がないのだから致し方ない。 家ではウィリイに依存している度合いが高いので、兄に行かれてしまうのはとても困る。 が、如何ともしがた…
【クララの明治日記 超訳版解説第53回】 「今回は解説すべき点は特にないよねー。クララの日常の一コマ、みたいなかんじで」 「それでは、今回はクララの二面性を見ていくことにしましょうか?」 「ん? 二面性ってなんのこと?」 「伝道に熱心なクリスチ…
1878年8月11日 日曜日 昨日郵便が着いて、沢山の手紙が来た。 その中にセアラ叔母さんのが入っていて、ホイットニーお祖父さんの死を報せてきた。 お祖父さんは六月十八日に苦しみ悶えながら亡くなった。 二週間悪寒や熱や足の激痛があって寝ていたが…